2008年、米サンフランシスコで生まれたGitHubは、最初はたった3人の開発者による小さな週末プロジェクトだった。しかしそのアイデア──「誰もが自由にコードを共有し、議論し、貢献できる場を作る」──は、オープンソースの精神と見事に共鳴し、瞬く間に世界中のエンジニアに広がった。
収益はゼロ。それでも、彼らは資金を得た。2012年、Andreessen HorowitzはシリーズAとして1億ドルを出資。それは、技術そのものではなく、「未来に意味を持つインフラ」への投資だった。そして2018年、MicrosoftがGitHubを75億ドルで買収するに至る。
一方で、Node.jsのエコシステムを支えるnpmもまた、個人開発からスタートしたプロジェクトだった。パッケージ管理の混沌に秩序を与えるこのツールは、Node.jsを支える基盤として不可欠な存在になったが、収益化には苦しんだ。最終的に、npm, Inc.もGitHub(=Microsoft)に買収され、OSSインフラの多くが、資本によって再編されていく構図がここにも現れた。
これらに共通するのは、収益化より先に意味を信じるという文化、そしてOSS開発者を“職業”として扱う構造だ。
日本では、なぜ同じことが起きなかったのか?
才能がなかったわけではない。
だが日本には、未収益のプロダクトに対して資金を投じる文化が育たなかった。「先に使う」文化は根づいても、「先に支える」文化は根づかなかった。
多くの企業は、OSSを使って業務システムを受託開発することで収益を得ているが、その背後にあるOSSそのものの開発に投資するという意識は乏しい。GitHubやnpmのようなツールが、日本からは生まれてこない理由がここにある。
Rubyは、数少ない例外だった
だが日本にも、希望の種はある。
そのひとつが、Rubyコミュニティだ。
まつもとゆきひろ(Matz)氏が生み出したRubyは、日本発のプログラミング言語として世界に広がった。そしてその進化を支えるコミッターたちは、日米の企業によって“職業として”支援されている。
NaCl、CookpadやSpeee、永和システムマネジメントのような日本企業は、Ruby/Rails のコミッターを正社員として雇い、開発そのものを業務として認めている。海外では、ShopifyやGitHubが同様にRubyの未来を担う開発者を雇用している。
これは、日本において極めて珍しい構造だ。多くのOSS開発者が副業やボランティアで活動している中、Rubyは“OSSを職業として成り立たせる”数少ない成功例となっている。
「コミッターとして採用する」だけで、日本の未来は変わる
もし他の企業が、Rubyに限らず、自社が恩恵を受けているOSSの開発者を“コミッター”というポジションで雇用するようになれば、それだけで日本のOSSエコシステムは大きく変わる。
それは単なる雇用ではなく、「あなたの仕事はOSS開発です」と社会が宣言する行為であり、長期的に見れば、GitHubやnpmのようなツールを“支える側”として存在感を示す第一歩となる。
未来のインフラは、週末プロジェクトから生まれる。だがそれを育てるのは、社会の側だ。
才能のある開発者を、資本が支える文化をつくらなければ、日本はこれからも「使う側」にとどまり、「ルールをつくる側」にはなれない。
収益化前のプロジェクトにこそ意味を見出す視点、OSS開発者に報いる仕組み、そして「開発者がつくる未来」に社会全体で投資する勇気──
それが、日本のソフトウェア産業が**“つくる側”へと回帰する鍵**になる。