経済に「目覚めた人」が増えたのは良い。でも…

経済に「目覚めた人」が増えたのは良い。でも…

ここ数年、TwitterやYouTubeのおかげで、経済の話をする人が一気に増えた。

これは間違いなく良い変化だと思う。

昔は「経済=専門家のもの」で、多くの人は最初から思考停止していた。

ただ、その代償として、少し厄介な現象も同時に起きている。


1. 「分かった気になる」設計が強すぎる

SNSやYouTubeの経済コンテンツは、とにかく分かりやすい。

結論は強く、敵と味方は明確で、話は単純。

「◯◯は間違っている」

「△△をやれば日本は復活する」

こうした断言は気持ちがいいし、再生数も伸びる。

でも、経済は本来そんなに親切な構造をしていない。

前提条件が少し変われば結論は簡単にひっくり返るし、

短期で正しく見える政策が、長期では逆効果になることも普通にある。

つまり、SNSは**理解を深める場というより、「態度を作る場」**になっている。

分かった気にはなるが、分かってはいない。


2. 教科書を読まずに「思想」だけ持つ危うさ

正直なところ、経済を語る最低ラインはそこまで高くない。

高校の公民、大学の入門書に書いてあるような、

こうした、眠くなるほど地味な話を一度ちゃんと通過すること。

問題は、そのプロセスをすっ飛ばして、いきなり結論や思想だけを持ってしまう人が多いことだ。

統計は見ない。

一次情報には当たらない。

反対意見は読まない。

その代わりに、自分の考えを肯定してくれる動画や投稿だけを集める。

これは勉強ではなく、物語の消費に近い。


3. 声が大きく、訂正が効かない

さらに厄介なのは、こうした人たちがかなり声が大きいことだ。

経済の話で「それは前提が違う」「ケースバイケースだ」と言うと、

「御用学者」「既得権益」とレッテルを貼られる。

でも本来、経済の議論で「場合による」と言える人の方が誠実だ。

断言できないからこそ、慎重に考える。

SNSではこの関係が逆転する。

一番雑な理解が、一番自信満々に拡散される。


入口はSNSでいい。でも、そこに住み着かないでほしい

誤解してほしくないのは、

TwitterやYouTubeが悪いと言いたいわけではない、ということだ。

あくまで入口としては優秀だと思う。

興味を持つきっかけになるのは、とても大事だ。

ただ、その先が問題だ。

一度でいいから、教科書や入門書に戻ってほしい。

新聞でも、統計でもいい。

退屈で、分かりにくくて、答えが書いていない世界に足を踏み入れてほしい。


分からないまま自信満々なのが、一番コストが高い

経済を本当に学んだ人ほど、

「自分の理解は限定的だ」と知っている。

簡単な答えがないことを知っているから、

他人を断罪しなくなる。

いま一番の害悪は、無知そのものではない。学ばないまま、確信だけを強めてしまうことだと思う。

経済に目覚める人が増えたのは、間違いなく良い。

だからこそ、その次の一歩を踏み出してほしい。

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