ムーアの法則は、「半導体の集積密度(トランジスタ数)が18ヶ月〜2年で約2倍になる」という、極めて珍しい経済現象を約50年にわたって現実にしてきた。
その異常さは、起点を1970年代後半に置くと、よりはっきりする。
たとえば**Apple II(1977年)**を例にすると、
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CPU:MOS Technology 6502
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クロック周波数:約1MHz- トランジスタ数:約3,500個- メモリ:数KB〜数十KB
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価格:数十万円(当時)
これが、2020年代の一般的なPCやスマートフォン向けSoCになると、
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クロック周波数:3〜5GHz(単純比較で約3,000〜5,000倍)
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トランジスタ数:数百億個- メモリ:数GB〜数十GB
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製造プロセス:3〜5nmトランジスタ数は数百万倍、
性能あたりの電力効率やコストで見れば、もはや比較そのものが意味を失うほどだ。
しかも価格はどうか。
かつては一部の人しか触れなかった計算能力が、
今では数万円のスマートフォンに普通に搭載されている。
これほどのデフレが起きた結果、社会はどうなったか。
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仕事が消えた →いいえ- 技術者が不要になった →いいえ- 社会が貧しくなった →むしろ逆コンピュータは、
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応用範囲が爆発的に拡張され
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技術者人口は増え
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より少ないコード、より高い抽象度で価値を生み出せる
ようになった。
これは典型的な、**「コスト低下 → 利用拡大 → 新需要創出」**が成立した例である。
この意味で、ムーアの法則が生んだデフレは、人類史上もっとも成功したデフレと言ってよい。
なぜ同じことが自動車では起きなかったのか
仮に自動車産業がムーアの法則に従っていたとしたら、
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車の価格は数万円
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最高速度は数万km/h
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安全性は極限まで高まり、事故はほぼゼロ
になっていたはずだ――というのは、さすがに半分は冗談だ。
自動車には物理的制約がある。
しかし、それでも現実を見てみると、
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空は飛ばず
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ガソリン(あるいは化石燃料)を燃やし続け
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人間がハンドルを握り、判断し、ミスをする
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基本構造は50年前と大きく変わっていない
という状況が続いている。
問題は、技術的に不可能だったことではない。
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センサー
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通信
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AI・画像認識
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電動化
自動運転や構造転換を可能にする技術要素は、かなり前から揃っていた。
それでも大きく変わらなかった理由は、制度・既得権・インフラ・法規制が、進化のスピードを止めてきたからだ。
つまり、技術が進まなかったのではなく、進ませなかったという側面が大きい。
高齢化社会と自動運転への不作為
日本は、世界でもっとも早く高齢化が進むことが分かっていた国だ。
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高齢ドライバーが増える
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事故リスクが上がる
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しかし地方では、車がなければ生活できない
これは予測ではなく、確定した未来だった。
普通に考えれば、自動運転を国家レベルで本気で進めるという選択肢が、最優先で検討されていてもおかしくない。
自動運転は本来、
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高齢者の移動の自由を守り
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事故を減らし
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地方の生活インフラを支える
という意味で、日本に極めて適した技術だった。
しかし現実には、
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実証実験
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モデル地区
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検討会
は増えたものの、「人が運転する」という前提を社会設計として置き換える覚悟は、最後まで見えないままだ。
その一方で、
- 国産LLMの開発
といった、世界的な競争軸に後追いで乗るテーマには、予算も注目も集まりやすい。
高齢化や事故といった国内固有で、しかも差し迫った課題よりも、
「分かりやすい先端技術競争」のほうが選ばれやすい。
ここにも、技術の問題ではなく、意思決定と制度設計の問題が表れている。
不動産はなぜ「進歩してはいけない産業」になったのか
不動産がムーアの法則的に進化していれば、
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建築コストは下がり
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住居は広くなり
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立地の価値は分散し
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可処分所得は増える
はずだった。
しかし現実は逆である。
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都市への過度な集中
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地価・家賃の上昇
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r > g(資本収益率が成長率を上回る)
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35年では足りず、50年ペアローン
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可処分所得の固定費化
ここで起きているのは、技術停滞ではなく、金融化による価値の吸い上げだ。
「共働きで豊かになる」はずだった社会
この数十年で、社会は大きく変わった。
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女性の社会進出が進み
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男女で同程度に稼ぐ世帯も珍しくなくなり
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都市部には「パワーカップル」と呼ばれる世帯が増えた
世帯年収が1,500万、2,000万円に達する家庭も現実に存在する。
素直に考えれば、
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世帯収入が2倍になり
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固定費が大きく変わらなければ
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余剰は自由に使える
はずだった。
そのお金は本来、
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旅行
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経験
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学び
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余暇
に使われ、人生の自由度を高める方向に向かうはずだった。
しかし実際には、
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不動産価格が共働き前提で吊り上がり
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教育産業が不安を取り込み
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ローン期間が延び続け
増えた収入の大半は、
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住宅ローン
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教育費
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金融商品
に吸い取られている。
結果として、
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働いても自由が増えない
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収入が増えても幸福感が増えない
という構造が生まれた。
r > g が続く世界の論理的帰結
r > g が続けば、将来の人間は 0m² の部屋に住むことになる。
これは誇張ではなく、数学的に正しい帰結だ。
資本収益率が成長率を上回り続ける世界では、
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住居は金融商品となり
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居住はコスト最小化の対象となり
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人間の生活空間は圧縮されていく
これは市場の失敗というより、そのように設計された結果である。
人間は幸せになれない仕組みなのか
結論は二段階で整理できる。
今の仕組みのままなら
技術進歩の果実は、
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生産者や生活者ではなく
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資本と金融に集中する
この構造のままでは、人は豊かになっても幸せにはなれない。
しかし、それは必然ではない
ムーアの法則が示したように、
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技術進歩
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コスト低下
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利用拡大
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新しい仕事
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新しい自由
は、正しく設計すれば成立する。
問題は人間そのものではなく、技術は進歩したが、制度と思想が追いついていないという点にある。
結論
- デフレは本質的に悪ではない
-進歩によるデフレは、人類を自由にする- 問題は、不動産・教育・移動といった生活基盤を、金融による収益最大化の対象として設計してきたことにある
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その結果、技術進歩の果実は生活者に還元されず、新しい世代から古い世代へと移転する構造が固定化された
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人間が不幸なのではなく、そうした資源配分が起きる設計を放置しているムーアの法則的思考――**「コスト低下 → 利用拡大 → 新しい自由」**を、住居・教育・移動・社会制度にまで拡張できるか。
そこが、これからの本当の分岐点である。