ムーアの法則が示した「健全なデフレ」

ムーアの法則が示した「健全なデフレ」

ムーアの法則は、「半導体の集積密度(トランジスタ数)が18ヶ月〜2年で約2倍になる」という、極めて珍しい経済現象を約50年にわたって現実にしてきた。

その異常さは、起点を1970年代後半に置くと、よりはっきりする。

たとえば**Apple II(1977年)**を例にすると、

これが、2020年代の一般的なPCやスマートフォン向けSoCになると、

性能あたりの電力効率やコストで見れば、もはや比較そのものが意味を失うほどだ。

しかも価格はどうか。

かつては一部の人しか触れなかった計算能力が、

今では数万円のスマートフォンに普通に搭載されている。

これほどのデフレが起きた結果、社会はどうなったか。

ようになった。

これは典型的な、**「コスト低下 → 利用拡大 → 新需要創出」**が成立した例である。

この意味で、ムーアの法則が生んだデフレは、人類史上もっとも成功したデフレと言ってよい。


なぜ同じことが自動車では起きなかったのか

仮に自動車産業がムーアの法則に従っていたとしたら、

になっていたはずだ――というのは、さすがに半分は冗談だ。

自動車には物理的制約がある。

しかし、それでも現実を見てみると、

という状況が続いている。

問題は、技術的に不可能だったことではない。

自動運転や構造転換を可能にする技術要素は、かなり前から揃っていた。

それでも大きく変わらなかった理由は、制度・既得権・インフラ・法規制が、進化のスピードを止めてきたからだ。

つまり、技術が進まなかったのではなく、進ませなかったという側面が大きい。


高齢化社会と自動運転への不作為

日本は、世界でもっとも早く高齢化が進むことが分かっていた国だ。

これは予測ではなく、確定した未来だった。

普通に考えれば、自動運転を国家レベルで本気で進めるという選択肢が、最優先で検討されていてもおかしくない。

自動運転は本来、

という意味で、日本に極めて適した技術だった。

しかし現実には、

は増えたものの、「人が運転する」という前提を社会設計として置き換える覚悟は、最後まで見えないままだ。

その一方で、

といった、世界的な競争軸に後追いで乗るテーマには、予算も注目も集まりやすい。

高齢化や事故といった国内固有で、しかも差し迫った課題よりも、

「分かりやすい先端技術競争」のほうが選ばれやすい。

ここにも、技術の問題ではなく、意思決定と制度設計の問題が表れている。


不動産はなぜ「進歩してはいけない産業」になったのか

不動産がムーアの法則的に進化していれば、

はずだった。

しかし現実は逆である。

ここで起きているのは、技術停滞ではなく、金融化による価値の吸い上げだ。


「共働きで豊かになる」はずだった社会

この数十年で、社会は大きく変わった。

世帯年収が1,500万、2,000万円に達する家庭も現実に存在する。

素直に考えれば、

はずだった。

そのお金は本来、

に使われ、人生の自由度を高める方向に向かうはずだった。

しかし実際には、

増えた収入の大半は、

に吸い取られている。

結果として、

という構造が生まれた。


r > g が続く世界の論理的帰結

r > g が続けば、将来の人間は 0m² の部屋に住むことになる。

これは誇張ではなく、数学的に正しい帰結だ。

資本収益率が成長率を上回り続ける世界では、

これは市場の失敗というより、そのように設計された結果である。


人間は幸せになれない仕組みなのか

結論は二段階で整理できる。

今の仕組みのままなら

技術進歩の果実は、

この構造のままでは、人は豊かになっても幸せにはなれない。

しかし、それは必然ではない

ムーアの法則が示したように、

は、正しく設計すれば成立する

問題は人間そのものではなく、技術は進歩したが、制度と思想が追いついていないという点にある。


結論

-進歩によるデフレは、人類を自由にする- 問題は、不動産・教育・移動といった生活基盤を、金融による収益最大化の対象として設計してきたことにある

そこが、これからの本当の分岐点である。

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