――導入側と提供側が作り上げた「自己強化ループ」
日本でもSaaS(Software as a Service)は広く普及した。会計、人事、営業管理、顧客対応など、多くの業務がクラウド型のソフトウェアで支えられている。
それにもかかわらず、日本発のSaaS企業が世界市場で存在感を示している例は限られ、またSaaSを導入する側の日本企業も、米国企業ほど競争力を引き出せていない。
この差はしばしば「日本のIT力が弱い」「スタートアップが育っていない」と説明される。しかし、実態はもっと構造的だ。SaaSを導入する側の企業文化や労働市場の違いが、SaaS提供側の進化方向そのものを決め、その結果として日本独自の閉じた最適化が生まれていると見る方が、現実を正確に捉えている。
この構造を理解する上で示唆に富むのが、最近公開された二つの記事である。
一つは、ITmediaに掲載された「なぜ米国企業はゼロトラスト導入で大手SIerを使わないのか」だ。この記事は、日本企業と米国企業のIT導入の違いを、ゼロトラストという具体的なテーマを通じて描いている。日本では構想から導入・運用までをSIerに委ねる傾向が強い一方、米国では自社内のチームがSaaSやクラウドサービスを組み合わせ、必要に応じて外部の専門家を使うという対照的な姿が浮かび上がる。導入する側の姿勢や前提条件がまったく異なることが、丁寧に説明されている。
もう一つは、Well Directionによる「なぜ日本のSaaSスタートアップは『稼げない』のか」だ。こちらは視点を提供側に移し、日本のSaaS企業がなぜ営業生産性や収益性で苦戦しがちなのかを分析している。ハイタッチ営業や導入支援を前提とせざるを得ないビジネスモデルが、日本SaaSの構造的な制約になっているという指摘は鋭い。
重要なのは、この二つの記事が別々の問題を論じているようで、実は同じ構造の表と裏を描いている点である。
ITmediaの記事は「なぜ日本企業は自分たちでSaaSを使いこなせないのか」を、Well Directionの記事は「なぜその結果として、日本のSaaSはスケールしにくい形に進化してしまうのか」をそれぞれ示している。
本稿では、この二つの記事を出発点として、SaaSを導入する側の企業文化・労働市場・業務慣行が、SaaS提供側の進化方向をどのように規定してきたのかを、より大きな構造として整理し、詳しく見ていく。
そもそもSaaSとは何か――米国での前提
まず前提として、SaaSとは何かを整理しておきたい。
SaaSは、ソフトウェアを「購入」するのではなく、インターネット経由で「利用」する形態である。
ユーザーは自らアカウントを作成し、設定し、試し、合わなければ解約する。この**セルフサーブ(自己導入)**が本来の前提だ。
米国ではこの使い方が極めて一般的である。
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導入前に詳細な要件定義はしない
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まず使ってみて、業務をツールに合わせる
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合わなければ別のツールに乗り換える
SaaSは「完璧に合わせ込むもの」ではなく、「標準的な業務を効率化するための共通インフラ」として扱われている。
日本企業のIT導入はなぜ重くなるのか
一方、日本企業のIT導入は慎重だ。
ITmediaの記事「なぜ米国企業はゼロトラスト導入で大手SIerを使わないのか」が指摘するように、日本ではシステム導入をSIer(システムインテグレーター)に一括で委ねる文化が根強い。
その背景には次の事情がある。
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ITは「失敗してはならない業務インフラ」
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現場の混乱は強く忌避される
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責任の所在を明確にしたい
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業務を変えるより、ツールを合わせたい
結果として、SaaSであっても「導入プロジェクト」として扱われ、事前調整や説明、合意形成に多くの時間とコストがかかる。
導入側がセルフサーブできないという事実
ここで重要なのは、日本企業の現場が怠慢なのではないという点だ。
多くの企業で、現場が自由にツールを試すこと自体が制度上難しい。
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勝手にツールを入れられない
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情報システム部門の承認が必要
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業務変更には上位決裁が必要
この環境では、SaaS本来のセルフサーブ導入は成立しない。
その結果、SaaSは「サービス業」に進化する
導入側がセルフサーブできない以上、SaaS提供側は対応せざるを得ない。
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営業が説明に入る
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導入支援やトレーニングを付ける
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業務に合わせた調整を行う
こうして、日本のSaaSはプロダクト中心ではなく、人手中心のモデルへと進化してきた。
Well Directionの記事「なぜ日本のSaaSスタートアップは『稼げない』のか」が指摘する営業生産性の低さは、この構造の必然的な帰結である。
日本SaaSは「間違った進化」をしたのか
ここで誤解してはならないのは、日本SaaSが劣っているわけではないという点だ。
日本企業の要求水準は高い。
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業務フローが細かい
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例外が多い
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サポート品質への期待が高い
この環境で生き残るため、日本SaaSは業界特化・業務特化・手厚い支援に最適化してきた。
それは国内では価値がある「正しい進化」である。
ただし、その進化はスケールや国際展開と相性が悪い。
人材流動性が生む、業務とツールの標準化
米国との最大の違いは、労働市場にある。
米国では転職が一般的で、同じ会社に長く留まることは前提ではない。
そのため、特定企業にしか通用しない業務やツールは、個人にとって不利になる。
結果として、
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業務は可能な限り定型化される
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ツールは業界標準に寄る
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人はツールに業務を合わせる
「どの会社でも似たツールを使う」ことが自然になる。
転職者はすでにツールに慣れており、導入教育も最小限で済む。
これが、米国でSaaS導入が極めてスムーズな理由だ。
日本ではなぜ同じことが起きないのか
日本では長期雇用を前提に、業務が会社ごとに積み重なる。
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属人化が「熟練」と評価される
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「うちのやり方」が温存される
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業務がツールより優先される
結果として、ツールは標準化装置として機能せず、ツール側が業務に合わせることを求められる。
導入側と提供側が作る自己強化ループ
これらを一本につなげると、日本のSaaS環境は次の循環にある。
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人材が流動しない
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業務が定型化されない
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ツールが標準化されない
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セルフサーブが成立しない
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営業・導入支援が必須になる
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国内特化SaaSが進化する
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海外に出られない
導入側と提供側が、互いにこの構造を強化している。
結論:勝てない理由は能力ではなく構造
日本がSaaSで米国に勝てない理由は、技術力や努力不足ではない。労働市場、業務慣行、導入文化が、SaaSの進化方向を規定してしまった構造問題である。
導入側が変わらなければ、提供側も変われない。
この現実を直視しない限り、日本のSaaS論は前に進まない。