Invent or Die 4 - 中島聡 × 増井雄一郎

司会: Invent or Die4といういうことですね、本日、中島聡さんと増井雄一郎さん の対談という事でよろしくお願い致します。それでは増井雄一郎さんよろしくお願いします。

増井: じゃあよろしくお願いします。今日、中島さんと対談させて頂く増井と申します。まず 簡単に僕の方で自己紹介と、僕が何やってきた人なのかと、あと僕の問題提起みたいなものを、初め30分ぐらいさせて頂きます。
増井雄一郎といいます。ちょっと前からmasuidrive(マスイドライブ)という名前で活動してまして、ここ数年は、僕もともとお風呂が大好きなんですよ。本当にお風呂で普通に仕事したりするので、それを普通にブログに書いたらそれがバズっちゃって。で、バズったらお風呂に取材に来ませんか?みたいなよくわからない仕事が入って、これ本当にあの上野にある寿湯ってとこですね、普通のマックブックを使って仕事も。。。まあ、これはネタで撮った、仕事をしてるこういう写真を上げたせいで、ネットでは風呂グラマーとか呼ばれたりしています。

趣味はクラブで踊ることです。最近はよくDJをやったりしています。実はプログラムを一番最初に始めたのは、多分高校1年生ぐらいの時で、もう実は高校2年生の時から仕事としてプログラムをやっています。その時まだ、Windows 95も出てなくてインターネットも出てなければ普通のWindowsもまだ3.1か、3.0だった頃で。
会計事務所について、会計事務所お客さん向けの顧客管理とか在庫管理の仕組みとか、データベースのアプリケーション、そのときはdBASEていうアプリケーションなんですが、そういうものだったりとかLotus 1-2-3、今でいうエクセルのマクロみたいな物を使って業務システムを作るのを、高校生の時からアルバイトとしてやっていました。ただ、高校が工業高校だったので一応学校では本当に簡単なプログラムは授業で受けてたんですが、高校の時に情報処理二種、今でいう基本情報処理試験に受かっていたので、理工系の大学にも行けたんですが、高校三年間工業高校だったので、九割男なんですよ。で、工業系の大学って、九割五分男なんですよ。そうすると、七年間男しかいない環境で暮らすってのはどうかと思ってですね。なので大学は文系の大学に行きました。

その後、自分で色々やったりして学生のうちに起業したりっていうのをずっと繰り返しています。なので、一般的な会社員経験、僕、一度もちゃんと上司がいた事がないんです。なので、そういった一般的な社会人経験はほぼありません。
僕は、大学生の頃からどんなことやってたかって言うと、実はずーっと、先ほど言ったように普通の一般的な高校生って、どっちかっていうと、プログラムやるというとゲーム作る、今だとネットのいろんなものがあるんですけど。本当この時はまだネットもないので、ゲームを作る事が多かったんですが、僕は一番初めに実は写真の印刷屋さんにアルバイトでレジ打ちのバイトに行ったら、後ろでデータ入力のバイトあるよと言われて、そのデータ入力のバイトをしてる時に、そのソフトが余りにも入力しにくかったので、覚えたてのプログラムで自分で入力するプログラムを作って、それを使って自分でデータインポートしてっていうのをやっていたら、そこで他のアプリケーションも作れる?と聞かれたので、「自分で勉強すれば作れると思います」と言って、そこの印刷屋さんのチェーン店のホームのシステムを作って、それでそこに出入りしてる会議事務所の先生から別の会社の仕事ももらってってのを、高校生の時にやっていて。高校三年生の時に札幌に住んでたんですけど、高校三年生時に飛行機乗って道内出張している、みたいなちょっとよくわからない高校生でした。

丁度、大学に入った時に94年入学なんですけど、94年て大学間のインターネットが丁度出始めた頃、 Windows 95が出るちょっと前なのでそういう風にインターネットが大学の中では使えるようになりました。ちょうどその時に、僕 Linux とか Free BSD っていう、UNIXを色々趣味で使っていたのでそれを使って、自分でそういったwebサーバをどうやって立てるかっていうドキュメントを書いて公開したりとか、あとこの97年にPerlで書いたスケジュール共有用のカレンダーのアプリケーション、96年か、97年に書いてます。

97年に PHP を使って調剤薬局間の薬剤の管理の仕組みを作ったり、こういった物で大学生の頃から結構物を作るのが好きで、いろんなプログラム、特にビジネス向けのプログラムをずっと作って色んな会社に納品したりとかフリーで公開したりとか、ちょうどこの頃オープンソースとか出てきたのでオープンソースで公開したりしてました。

で、それ以外にもちなみにPukiWikiってご存知の方いらっしゃいますか?PukiWikiはネット上の寄せ書きアプリみたいなPHPで書かれたのがあるんですが、元々他の人が作っていた物を僕の方で巻き取らせてもらって、オープンソースの開発のスタイルに合わせてもう1回チームを作ったりとかですね。あとは iOS アプリケーション をRuby で作れるツールキットを趣味で作ったり、オンラインでエディタを作ったり、チャットで勤怠管理をするものとか、ずっと毎年こういった色んな物を作ってます。もうここ15~16年か、ほぼずーっとこういった物を作って暮らしています。

では、仕事は何をしてるのかっていうと、学生の時に一回起業して、もう今誰も使ってないですがiモードのWeb制作の会社をずっと大学生からしばらくやっていました。その後に自分が会社をやるのに、その会社、自分で作ったので、社長をやりながら営業だとか経理みたいな事を全部自分でやっていたので、まあそういうエンジニア以外の事をやりたいのか、エンジニアやりたいのか、26歳の時に一回悩んで。

その上で「僕は会社がやりたいんじゃなくて、物を作ったりエンジニアリングがやりたいんだ」って事で、会社をたたんでフリーランスに戻って、それで色んなアプリケーションを作ってたんですが、僕ずっとRubyって98年ぐらいからもう20年くらい使ってるんですね。丁度2005年にRuby on Railsが出て、これは初めてRubyで仕事ができるんじゃないかと思って、ずっとRuby on Railsばっかりやっていて。

2006年にRailsカンファレンスっていうRailsの作者とかが集まるカンファレンスの第1回目がシカゴであるって事で、それで僕シカゴまで行ってそのカンファレンスを初めて受けたんですけど、僕その時、初めて子供の頃以降、30過ぎてからパスポートを初めてとって自分でアメリカに行ってみて、そのカンファレンスを聞いていたら大したこと言ってないんですよ。

東京でも、いろんな勉強会とRubyの勉強会をやっていたんですけど、対してレベルが変わらない。だったら僕このままアメリカ行って英語喋れるようになれば、あそこで同じように喋れるよねって思って、それでアメリカに行きたいって思っていたんですが、一人で会社をやってると、自分で仕事をしているとビザをとってアメリカにいく方法がないんですね。それでどうしたらいけるんだろうと思っている時に、今日一緒に話しをする中島さんが、ブログに、僕、彼のことがずっと好きでブログ読んでたんですけど、ちょうど講演で日本に戻ってきますという記事があったんで、そこで僕の方からアメリカに行きたいんですけどアメリカに友達もいなくて、どうやったらアメリカで仕事をすればいいのかわからないので話を聞かせてくださいと、メール送って、その講演日に、お昼ご飯を一緒に食べることになって、そのあと意気投合して、僕はアメリカで会社をやりたいということで、じゃぁ一緒にやろうって話で、意気投合して、できたアプリケーションがPhotoShareってやつですね。

iPhone の写真のシェアリングのアプリケーションをアメリカで2008年から2年半ぐらいいたんですが、こういったiPhoneのアプリケーションで写真のシェアは多分世界で初めてたと思うんですけど、こういったアプリケーションを作ってました。その後、日本に帰ってきて、僕ちょっと英語に難があったりとかで、結局、向こうで仕事をしきれなかったというのもあって、日本に戻ってきて、ミイルという食べ物の写真のシェアリングのアプリケーションを作る会社がなるんですが、CTOとして一人目のエンジニアとして、一緒にやっていたのは中村という飲食店を10年やっていて、彼がこう言ったアプリケーション欲しいと言いて、僕はiPhoneのシェアリングのアプリケーションをずっとやっていたので、こういったものを一緒に作ろうよって会社を始めたりとか、彼ともう一つ、こっからスピンアウトする形で、トレタという会社、飲食店の予約の管理するアプリケーションで、これは皆さん使ったことがある人はいないと思うんですよ、飲食店のお店の人が使うアプリケーションです。皆さん、例えばネットや電話で予約をした時に、お店の人がその予約を管理するために今まで紙に書いていたものを、全部iPadとかできちんと管理をしましょう、顧客のいろんなメモとか、そういったものをちゃんと管理しましょうとCRMとして、こういったアプリケーションを作って、これも一番初めに作るのからして、先月までこの会社のCTOもしていました。で、僕、年にふたつ目標があって、年に一つは個人ブロダクトを作る。年に一回は英語で講演をする。僕こういったところで話す機会がすごく多くて、年間30本とか話してるんですよ。それ以外に年に一回は必ず英語で講演をやっているのですが、そのうち一つ、例えば2015年に作ったアプリケーションなんでが、これはKitayonていうアプリケーションで、これもハッカソンで友達とみんなで仕事以外で作ったアプリケーションです。これはなぜ作ったかって言うと先ほど言った僕が勤めいたトレタという会社で、恵比寿に移転したんですけど、すごい凝ったオフィスを作ったんです。ここもすごいかっこいいですけど。凝って作ったオフィスをなのに、入り口にカッコ悪いものを絶対置きたくなかったんですよ。よくある内線用の電話にボタンがいっぱいあるやつあるじゃないですか、あれすごいカッコ悪くて置きたくなくて、なので代わりになるやつを探したんですけど、全然いいソフトがない。iPadで。端末はどれもカッコ悪い。それに変わるようなアプリケーションを自分たちで作ろうと、この時僕トレタにいたんですが、前職のミイル会社のメンバーを中心に、みんなで集まって4ヶ月間作り続けて、それでその作ったプロダクトを他の会社に売却したりとか、そういったことをしています。なのでずっと僕エンジニアと言いながら、どちらかというとコードを書くのが好きなんですが、物を作るのが好きなんですね。なので、自分自身はWebアプリケーションを作るので、サーバーサイドは僕はRuby強いですが、PHPとかPerlとか、一部PythonとかNodeJSとかJavaScriptそういったものを書きます。iOSのswiftも書きます。Androidはあんまりかけないんですが、フロントエンドもいろんなことをやります。それは基本はものを作るのが好きなので、ものを作るなら何でもやるということで、ずっとやってきています。

このトレタという会社を作ったのは2013年7月からなんですが、丸5年過ぎて10月15日にトレタから独立しました。それまでゼロイチの立ち上げが得意だっていうのがあって、今トレタは社員130人ぐらいいる結構大きい会社になったんですね。そんな時に僕はその会社にどう貢献できるるんだろうと色々考えた結果、僕フルタイムじゃなくて、もっといろんな働き方をして別の形で会社に貢献できるんじゃないかって、言うと考え直して、10月15日をもって独立してですね、自分で面白いプロダクトを生み出したいっていうのでプロダクトファウンダーっていうタイトルは自分で作って、今これとして活動しています。ちょうど始めて1ヶ月くらいですね。もし興味があれば「増井 ドライブ レジュメ」 って検索していただくと読めると思うので読んでいただくと、今日の話も話も少しわかりやすくなるかなと思います。

プロダクトファウンダーとして独立して個人事業主になったんですけど、それと並行して顧問としてトレタには関わってます。僕は自分のキャリア、エンジニアをずーとやっていて、立ち上げからCTOやっていたんですが、自分がどういうふうにしたらキャリアを作れるのか、自分が一番会社に貢献できるのは何で、自分として一番楽しいのは何なのか、もう去年の夏ぐらいから1年以上悩んでました。

でも、その僕はエンジニアなのでコードをかけます。コードが書けるんですけども、一人で書くには限界がある。そういった形の貢献もあります。じゃなくて、僕は会社に何を貢献するのかをこの1年間悩んでいました。僕、一般的な会社員経験がないんですよ。上司がいたとことがない。よくあるようなマネージメントをして部下を持ってとか、マネージメントしてみんなをまとめて何かの方向へとかとかいうのは僕自身が経験したことがないんです。経験をしたことがないことを自分でやることはすごく難しくて、そういった意味では、チームマネージメントってのは数人であればできますが、もっと大きい10人、20人、場合によっては100人となる組織を見るってのは、僕はあんまできないです。そもそも評価されたことがないので。そうなった時に僕は何をすべきかってのは、会社が大きくなって2、3年目の時から考えていて、僕がマネージメントしない形で会社に貢献するにはどうすればいいのか、ってのを色々まとめたりして、CTOって言われている人たちはチーフテクノロジーオフィサーなので、どちらかといったら経営側になるので、そういう人たちがどういったことをするのか、海外の事例を調べたら AWSのCTOが10年以上前にやっぱりそういうCTOにはこんな種類があって、こういった貢献の仕方があるというブログを書いていて、それをみたりとか。色々考えながら、ずっとここ数年間自分がですね、何で貢献をして、会社をどういう風にトライしてくるってことを悩んでました。

ここで、今日の話にもなるんですが、エンジニアのキャリアって結構ずっとここ何年間かも言われてます。エンジニア特に35歳定年説だったりとか。ちょうど今日このタイミングで NTTからGoogle行きましたっていう記事がありました。みんなエンジニアのキャリアって悩んでいると思うんですね。エンジニアの人でキャリアに悩んでいない人はいない。特に働き方が多様化してる。基本的には会社に入って、ずっとその会社にいるか、せいぜい1回転職するとか、同じエンジニアの中で職能が変わる、今すごく働き方多様化しているんですね。僕はCTO側、エンジニア側としても見てきて、その二つを元に働き方の多様化ってことに少し話したたいと思います。

経営側からみた一番のスタートアップの課題は、エンジニアが採れない。どこの会社もエンジニアの採用にはものすごい苦労しています。エンジニアが余っていて困っていますという会社はほとんど聞かない。実際採るにしても、同じオフィスに来てもらって、9時から5時といった同じ時間に働くのは効率的なんですけど、そういっていては、人が集められなくなっている。そう言ったフルタイムで長く働いてもらって、同じ場所に来てもらって、同じ時間、働いてもらうってのは人口が多い間はできました。今どんどん人口が減っていく、さらにプログラマの人口もそんなに増えていない、なおかつこの先会社の数が増えると、一社あたり取れる人の数が減ってく中で、効率的なことができないので、多様な働き方を会社自体が許容しなければならない。効率がどうこうというよりは、そもそも人が集まらない、ていう問題なんです。

いろんな軸があるので、ぐちゃぐちゃになってますが、正社員もフルタイムで、さっき言ったような毎日9時から5時までの定時のものもあれば、フルフレックスみたいなものあれば、何時にきて何時に帰ってもいいですよってのもあれば、トレタのだと、10時から4時までのコアタイムはいてくださいとか、時間短縮で子供がとても小さいので毎日5時に必ず帰りますとか、子供を送ってからくるので11時からでないと出勤しませんとか、男性も女性もあります。社員という働き方以外にも業務委託でお願いをしたりとか、学生のインターンもかなり増えてきていて、エンジニア以外の営業などいろんなインターンもきています。別に本業を持っている、他の会社で働いているんだけど副業として土日だけ働けますとか、夜7時以降であればリモートで働きますとか、もしくはきて働きますという人もいますし、外注だったり、国内じゃないオフショアとか、会社に来ないリモートだとか、いろんな働き方がある。

そうすると今まで取れてたような、同じ時間、少なくても時間を抑えてしまう、9時から5時まで連続した時間を抑えることができなくなるので、どうやって時間が細切れ、時間をフルで取れない以上、今まで一人でやっていた仕事を3人に分割するとか、連続した時間が取れないので、8時間取れないから2時間を4回に分けますとか、間に1時間挟みますみたいな、どうやって細切り時間を作って、それでメンテナンスしっても作ってくのかっていうことを経営側がどんどん考える必要が出てきて、今までのマネージャーの仕組みって随分それで多分ここ数年で大きく変わると思います。多分、エンジニア働き方が多様化してくると、それをまとめてさっき言った連続した時間が取れない中で、どうやって物を作るのか、全体の大きなデザインをして、そこの中からタスク単位に細切れにして、それをお願いして配置して、それで実行するみたいな、こう言った業務分割ができたりとか再配置できるマネージャーこれからすごく強くなる。エンジニアも実は大事なんですが、多分同じぐらいマネージャーってのが。この分割するって事は、技術がわからないと分割できないですね。いきなりサーバーとフロントだって言う、今まで大きなざっくりとした別れ方だったのが、この部分はこの人にお願いして平行してできるけど、順番が入れ替えられないとか、ここはすごく難しいんので社内でやろうか、逆にここは難しすぎて社内にできる人がいないので、外部に出そうとか、ってことはマネジメントというよりは技術スキルがいるのでそういったエンジニアのあり方ってのがこの先増えると思っています。

もう1つ、エンジニアから見た働き方の多様性っていう意味では、これは本当に昔からよく言われる35歳定年説みたいな話で、今でも時々引き合いにだされますが、もう今35歳が定年だと思っている人はたぶんいないんですね。これ、なぜおこったかというと、SIer的な考えかたとして、単価を上げるために管理職、マネージャーというタイトルがつかないと単価があげられないというのが元々じゃないか言われています。もう1つ理由があると思って、みなさん学生を卒業して会社に入る22〜23ですよね。そこから2〜3年は勉強します。なぜなら新しい会社に入り、プログラムや仕事の勉強をします。25歳ぐらいになるとだいたい仕事のことも一通りわかってきて、日々の業務もこなせるようになります。そうするとみんな勉強しなくなるんですね。1つの技術って10年くらいだと思うんですよ。すると25歳で勉強しなくなった人は35歳の時に、25歳の時に勉強した、いろんな知識を使いはたすんですよね。35歳になったときに、そこから新しい技術、今から10年前ってまだiPhoneでたばっかりです。そういった時に技術を使っても、その話をできなくなるので、今から彼らは勉強しても追いつけない。10年間勉強する癖も抜けているから。ということで、僕は35歳定年説の一番の理由は、勉強してこなかったかなと思っています。そういった中で35歳です、というのも僕はある種、一理あると思っています。

こういった35歳定年説を超えてずっとエンジニアとして働くとしても、一つの会社でキャリアを全うできるかって言うと、まっとうできないわけです。皆さんだいたい転職すると思います。なぜなら自分の職業人生の長さよりも、会社の寿命の方が短いからです。自分がどんなに働きたくても、ほとんどの会社は皆さんが定年する前に会社がなくなります。もしくは、吸収なり合併なり、ピボットして、その仕事はなくなります。そういう時、何が起こるかというと、僕が今できること、エンジニアのことができます、会社から望まれることは何か、会社に貢献する一番わかりやすいものは何か、僕の立場でいうとCTOなので、マネージメントをして開発チームを強くするとか、そういった採用をすごく強くするとかっていうことになります。

これは僕の場合ですが、他の皆さんの場合は、それぞれ違うと思います。例えばJavaの新しい何かを覚えて欲しいとか、新しいフレームワークとかReactを覚えて欲しいとか、会社から望まれる技術とか、会社が売りやすい技術とか、今の会社が必要なもので、今できることをどんどん皆さん勉強して、会社が望まれることに近づけます。

こういう風に、今できることっていうのと、会社から望まれること、自分のやりたいことってのは、どんどんみんな会社が望まれる方に近づくんですね。で、なんでかって会社が望まれることをやると給料が上がります。もちろん会社望んでいるからです。それは売上があるから会社が望んでいるのです。それと同時にすごい喜ばれます。褒められます。なぜなら会社が望んでいることをやっているからですよね。なので短期的には自分にとってメリットがすごく大きいですね。ただ、さっき言ったように会社のライフタイムというのは、自分の職業人生よりも短いので、あるとき、その会社がなくなったときに、別の会社に望まれる事ってなると、またその同じ会社を見つけられればいいですけど、見つけられなかった場合は別の方向を追っかけることになります。

で、そうなので、そちらへまた動く。ここのギャップが大きいと就職すらできなくなる。年齢が上がってると新しいキャッチアップが違う、全然違うことは難しくなってくるので、こういった形で自分が会社から望まれることをやっていると、短期的にはもう自分にプラスですが、ある時突然破綻をするという状況が生まれると思っています。じゃあ、何をするかというとみんな言うのは自分のやりたいことをやりなさいと、結構言うのですけど、やりたいことやってて飯が食えるのかで問題が必ず出ます。

で、僕はやりたいことってのは、別に夢を追えと言うことではなくて、例えば安定して稼ぎたいとか、時間が短くても稼げるようにしたいとか、いろんな、そもそも夢ではない、自分がどうなりたいのかと言うことなんだと思うんですね。そう言う意味では、僕はよく言うのは一社に自分のキャリアっていうのは、どっかの会社のじゃなくて自分の人生だっり、もしくはこの業界から離れないって思ってるなら、エンジニアって中で依存するべきであって、会社に依存しない方がいい。僕ずっと人生の目標にしてること、少なくても十数年目標にしていることがあって、それは今持ってるものすべて失っても明日から普通に暮らせる。これは何かって言うと突然僕がいま追い剥ぎにあって、パソコンも携帯も全部取り上げられて、なぜか家に帰ったらものぬけの殻で、奥さんから三行半を突きつけられ、なぜか銀行口座も空になり、ていうような状況になったとして、僕はそれでも明日から普通に暮らせる。今なら、なんとか誰かからちょっと借りられれば、ネットで泊めてくれる友達ぐらいは見つけられますし、そこでパソコンさえ借りれば、明日から仕事をすることくらいはできます。ほかの知り合いを探して仕事をもらうのもできます。場合によってはクラウドワークスみたいなものとかランサーズみたいなものとかで仕事をとってくることができます。

こういう風にしておくことで、僕は自分で作った会社ですら、会社に依存しないと言うことをすごく気をつけています。そのためには僕が自分自身としてちゃんと評価されなければならない。自分の会社として評価されるじゃなくて、僕として評価されなきゃならないので、先ほど言ったように年に一回はものは自分で作りますとか、あとは英語で講演をする。なぜ英語で講演してるかって言うと、あの日突然日本が沈没したらどうしよう。そうなった時に、海外で仕事を取りたい、もちろん英語圏仕事をとりたいっていった時に、英語圏で僕のこと知ってるとほとんどいないわけですね。そうすると仕事が取れない。どうしたら取れるんだろう。名前を知っててくれれば僕のことを雇ってくれるかもしれない。じゃあ、英語で発信するべきだし、ただ発信するよりも、少し英語がしゃべれるので、そういういった形で年に一回必ず英語で講演をして、僕の名前で英語で検索しても、僕がどういう人か必ず出るようにしようと心がけてやっています。ちなみに英語で講演するが凄い大変なので、毎年講演する1週間ぐらい前には、俺なんてこんなめんどくさいことを・・絶対日本沈没しないじゃんて思いながら、血反吐を吐きながらやってます。今年のオンリーウィークに台湾で講演したんですけど、一週間前から、死ぬ気で資料を作って、ずーと悪態をつきながら作っていました。

今こういった形で働き方、さっき言ったリモートワークだったりとか個人事業だったりとか、いろんな働き方ってのが出ているんですけど、よくいうHowみたいなもんです。どうやってやるかって話ですけど、何をやるかって話ではないんですね。だからリモートワークをすることがゴールにはならなくて、必ずリモートワークするには理由があるはずなんですね。もしかしたら通勤電車に乗りたくないと言う理由かもしれないし、それなら会社の隣に住めばいいじゃないかとか、いろんはHowの方法がある。今の所、けっこうみんなHowの方法論にすごく話が寄っているので、僕からしたらしたら不健全に見えます。そういった意味では何を達成したいのか、自分の価値ってのは何で、それを何を価値をお金に変えて飯を食うのか、って言うのはあまり議論されてなくて、そこはもっと皆さん議論した方が、Howだけに固定すると選択肢が狭まるので、もっと選択肢が広がるようにと思います。というわけで簡単でしたが、僕の自己紹介と僕の働き方の課題感みたいなものを共有させていただきまして、ありがとうございます。

司会: 増井様ありがとうございました。この先ですね、中島さんも入っていただきまして、対談の形式に移らせていただきたいと思います。

中島: どうもありがとうございます。

増井: ありがとうございます。

中島: この前のが元伊藤忠でソフトバンクモバイルをやっていて松本徹三さんは、全然違うタイプでした。

とても働き方の話は、結構いい話だったんじゃないかなと思います。普通のサラリーマンと違うので。ここに来てる人は大半は、やはり割と大きな会社にいる人。まぁ、独立している人もいるけど。大きな会社にいて、どうしようかなって様子を見ている人が多いので、いい参考になるんじゃないかなと。その大きな会社に中にいる人を引き剥がして無理やり起業しろとかいうのが、シンギュラリティソサエティの目的じゃないんだけど。ひとつ、僕もその大きな会社に対してのコンサルティングとかを何回かやってるうちに、だんだん気がついたのは、ああいう会社の上の人達は一口で言うとダメなんだなと。一言で言うと。ダメだからじゃあ会社を辞めてって言うじゃなくて、でも中にはいい人はいる。若い人たちは、その人たちに上の人達は駄目だってことちゃんと伝えたいし、だから辞めろじゃなくて、辞めるって大変じゃないですか、自分でお金作んなきゃなんないし。

増井:ちなみに、何が一番ダメなんですか?

中島:見えてないんですよ。極端にパソコンを入れてないと言うレベルの、どうしようもない人もいるけど、当事者意識がない。サラリーマンですよ、みんな。増井さんはまさにサラリーマンををやってなかったからこそ、いざ自分で生きてかなきゃいけないとか、いうそういう危機感があるんじゃないですか。

増井:そうですね、明日仕事なくなるかもしれないですからね。

中島:ああいう大きい会社の上の人達は全然ない。そもそも会社が潰れるわけがないと思っているし、ひょっとすると、本当にその表面的にはね、会社は株主のものって言うだろうけど、心の奥底では会社は自分たちのものと思っているですよ。

増井:多分ほとんどの社長は思ってるでしょね。

中島:だから、そういう発想、且つ色々苦しいことあるけど潰れるわけがない。政府が潰すわけがない、人は切れない。だからもう何かそこに、こう、すごく安心感がある。そこで多分冒険もできなくなって、とにかく自分が引退するまで会社は潰れなきゃいい、という気持ちで、結局は仕事しちゃっている。

根本がもう間違ってるから、それでかつITが弱いという、そもそもITが弱い理由が、危機感がないからから勉強してないと言う。根本の理由は、当事者意識の欠如であり、そうするとやっぱりサラリーマン経営者ってのは難しいのかなってのは、僕はすごく思います。何を言いたかったのかというと、まあそういう会社に入っちゃってる人達がいて、でも、僕は大きい会社っていろいろと有利だと思うんですよ。やっぱりお金もあるし、リソースもあるし。お客様もいるしマーケティングチームもあるし。僕も自分で会社をMicrosoftを出てやって思ったのは、いいも作っても売れないんですよ。Microsoftにいるといいものさえ作りさえすれば、ぼんぼん売ってくれる。まぁ良くないものも売ってくれる。それはちょっと失敗したなと思いましたけど、そういうのもあるので大きい会社にいるメリットもあるので、まずは大きい会社の中で僕は暴れて欲しいと思います。そこでひょっとすると日本の会社も変わるかもしれない。まずは刺激を与えつつ、でもそうは言っても、やっぱり会社人間になっちゃうと、その、さっきのグラフいいですね、会社に必要とされる人になっちゃうと、べったり合っちゃうと、会社人間になっちゃうわけです。そうすると、会社がなくなった時に、全く世の中に通じたない、ただの人になってしまうので、そうのを避けるためにも、例えばこういうところでネットワークを作るとか、もしくはその仕事以外の知り合いを作って、まぁ増井さんみたいに外にプロジェクトを作るというのはなかなかできないと思うけど、それに近いことをしつつ、いざという時には自分がピボットできるみたいな体制を作った方がいいんじゃないかと言う風には思っているので、それが一つの目標なんです。シンギュラリティソサエティの、そういう場を提供すると言うのが。だからすごくいい話でした。ありがとうございます。

増井:スキルポータビリティって大事なんですけど、みんなあんまり意識しないんですよね。ポータビリティを持って会社を持って歩けるスキルをどう身につけるかって

中島:なんでなんだろうね。日本て、別に昔からそうじゃなくて、これって高度成長期にできただけなのに、なぜか大昔からそうみたいになってるよね。

増井:こっから転職をするっていう意識もあまりなくて、どっちかっていうと会社に属してる意識も、帰属意識も、自分で作った会社に対しても低いので、どちらかと言うとエンジニアっていう組織に属しているイメージ。その中でポータビリテをどう高くするかってになってるんですけど。

中島:増井君の場合ちょっと特殊なんだよね。一番最先端では最先端だけど、うちの親父なんていうと、人間の価値は会社で決まるみたいな感じだったから。僕は小学校の時に友達を呼んでくると、まず最初の一言は「何してるの?」なんだよほんとに。それがお父さんが一部上場企業だと、「聡、いい。友達になりなさい」それがただの近所の八百屋だと、なんかもう見下した、みたいな。日本はそういう文化が出来ちゃって、少なくとも70年代ぐらいに、それがまだ惰性持って文化としても残ってるし、それを握ってる人達が生きている。っていう中で、まあそのさっきみたいな生き方をしている人が生まれつつある状況で、割りと不思議な状況ですよね。その終身雇用制が壊れたとか10年くらい前から言ってるけど、実は壊れてなかったり。

増井:そうですね。でも、終身雇用の前に大抵会社がなくなるんですけどね。

中島:でもなかなか会社が潰れなかったりね。会社の具体名を出すとね、そこで働いてますいう人がいるとうっかりだけど、でも、どうみても潰れそうな、お前は死んているみたいな会社がけっこういっぱいあるじゃないですか。でも辛うじて、その政府からの IT 投資で生き残れた NTT とか NHK から降りてくる仕事で生きてたりというのは起こってるので、それがまた健全な企業の新陳代謝を起こさないから、人の新陳代謝も起こさなくて、そのせいでパソコンを使えない人が平気で。

増井:そうですね、上に立てる、みたいな。

中島:で、それでダメって言ったんですよ。だから別にその人たちが悪いっていうより、システムそのものが悪い。そのテーマはすごく重要だと思います。あともう一つ、その結果としての終身雇用制は、なんか専門職嫌うんですよ。やっぱり。使い回しが効かないから。だからなるだけジェネラリストになって管理職になってもらいたいから、そういう人の養成の仕方をしていくと、どんどん会社人間になっていく。会社としては辞めて欲しくないから会社人間になってもらいたいんだけど、本人にとっては実はマイナス、マクロにみると、という状況は起こっていると思いますよね。

増井:本当に、でも終身雇用と解雇規制がなくなると、随分良くなるんですけど、あれがある故に人が採れないとかってのは、やっぱり考えますね。スタートアップアップをやっていても考えます。

中島:人採れないってのがすごい問題で、僕もそれ思ったけど、会社がやって、自分でやって大変だった、金を集めなきゃいけない、売ってくれる人がいないとなるけど、やっぱ人を取るのはものすごく大変で、僕の場合アメリカで始めたからそれは良かったんだけど、やっぱ日本はけっこう苦労して、僕の場合、ブログあったから採用できたけど、ブログなかったらなかったら人とるのは大変だったけど、そういうなんかちょっと特殊なものを持ってないとすごい大変ですよね。

増井:そうですね

中島:トレタは百何十人までいったの?

増井:エンジニア、開発だけで20人いなくらいくらいなので、少ないですね。セールスが半分以上なので。

中島:けっこう人海戦戦術な

増井:そうですね、飲食はなかなか人海戦術では売れないので。

中島:ちょうどタイミングででたNTTから転職した人の話が面白いよね。

増井:あの最後オチがGoogleです、ってあたりが抜群に面白いですよね。

中島:受けましたね。あれ、読んだ人・・・けっこういますね。彼自身も出世するにはマネージャーになるしかないって悩んでるそうっていう、マネージャーになったところでたかだか800万だそうで。

増井:今650万で、上いっても1000万行く行かないぐらいな感じでしたね。

中島:で、僕も良く覚えてるけど、 NTTを辞めるって言った時にもう反対されて、その教授もそうだけど、隣の研究室の教授とかそれからその研究室の隣の研究室の所長さんとか、言われたけど、みんなが言ったのは、いやNTTに入ると年金も出るし給料高いんだぞととか言われて、確かに、でもそんなに物価も変わってなから多分高いって言っても1000万くらいだったのなかって

増井:そうでしょうね。その頃の日本にしては、高かったでしょうね。今650万とかって普通にスタートアップでも全然普通に出るので、給料が高いとかいうのは全く成り立たないですよね。

中島:どうやっていい人を留めとくんだろうねって思っちゃうね

増井:僕らも思うんですけど、自分で会社やってて、社員とか業務委託とかってどう風に区分けをすればいいんだろうってやっぱり思います。僕ら社員でとりたい、長く働いてほしいって思うことはあるんですけど、じゃその人たちをつなぎとめるために僕たちは何が提供できるのか、会社側として、自分が採用した時すごく考えました、やっぱり。採用する側として、何がその働いてくれる人に提供できるのかっていうのは会社が提供できることは年々減ってるなあと思いますね。

中島:そうだよね。そういう意味でいうと、そのもっとプロジェクト単位で人が集まって、働いて解散するというのをもっともっと簡単にできないかなと思いますよね。シンギュラリティソサエティの中で一個立ち上がっている、プロジェクトラブっていう、有本くんって人がやりたがっている、漠然としたイメージなんだけど多分そこはWeb servicesでそこに登録しておくと、人が集めやすくなる、そこで仕事をするたびにキャリアが蓄積されていてそれが本当の意味のレジュメになってくみたいなサービスを立ち上げたいって言っていてその相談してるけど、そういうのは、今こそ必要とされてるんじゃないかと。会社組織そのものがひょっとしたらいらなくなるじゃん。

増井:そうですね、税務上以外いらなくなる。僕、さっき言ったkitayonは元々の会社のトレタために作ったんですけど、それ作ったメンバーはトレタのメンバーではないんですよ。もともと僕の友達で作っていて、それプロジェクトとして集めて、その人たちは3〜4ヶ月毎週集まって、みんなで改良してもの作ったりとか、結構みんなで泊まりがけで合宿やったりとか、そこは実はあのプロジェクトは最終的に他のスタートアップ売却したんです。トレタじゃない会社に売却したんです。プロダクトとして売却する。作った人をつけないで。

中島:そういうプロジェクトの時って、その売れた時の報酬の分配の方法とかどうやって決めたわけ?

増井:もうそれは僕がみんなにどれくらい貢献したかって聞いてまわって、もうそれでいいやってやりました。

中島:最初に決めたわけではなく

増井:そもそもどうゆうEXITをするかはわからなくて、最終的に売れなかったらオープンソースにするかもしれないし、売れたら分配はするって形で、EXITの形はあんり思い浮かべないで作っていたので、どちらかというと僕がやりたいことにみんな、僕のこと信じてやってもらってるって形が大きく、今でも仲が良くて、今月もみんなで集まってご飯食べたりしてます。

中島:でもちょっと心配なのは、もめる可能性もあるよね。僕はこんなにやったのになんでこんなこれだけなのかとか

増井:そこは、僕が全部やって僕に信用してくれって話に、全員よく知ってる人達だったので一緒に長くやっていた人たちなので信用があったからできたてもありますね。で、ここで僕のことをよく知らないとか、それこそ別の目的があった人が一人でも入ったら多分うまくいかないと思います。

中島:トレタは大丈夫だったの?

増井:最終的にはトレタに一旦買ってもらって、そこからお金にして現物出資とかいうちょっとややこしいスキームを取りました。

中島:でもその今後ね、そういうプロジェクトを立ち上げてやるには大切だよね。

増井:そうですね。そうなるとすごく難しいと思ったのが、オープンソースの時もそう思ったんですけど日々の給与ってことを、その人のベネフィットみたいにしない短期的な価値にしないで、どうやってプロジェクトを動かしていくのがすごく難しいなと思っんですよね。食ってくのは別にあるので、その人たちをつなぎとめるって点で、お金を払うってすごくわかりやすい人の繋ぎ止め方なので、それをしないでプロジェクトをまわすってすごく大変なので、それを僕オープンソースですごく学んだので、それはすごく生きています、個別のプロジェクトをやるのに。ビジョンとか目的意識とかとかそれをどう伝えるか、ということによりますね。

中島:それは給与がそれはそういう事その給料があっても同じじゃないの?

増井:給与があると結構みんな生活のために仕方なくとかって夜中に多いんだと思うんですけど、そういうのがないと余計ちょっとないと離れちゃうので、コントロールは難しくない気がしますけど。

中島:信頼関係だったりビジョンだったり、目指しているものの志の高さだったり。すごいそれはなんかそういう話を聞くと、例えばソサエティの中でいくつかプロジェクトが立ち上がっているんだけど、やっぱり最終的に落とし所、人に汗をかいてもらった結果をどういう風に反映させていくかみたいなことは考えないとね、なんとなく空中分解しちゃう可能性もある。

増井:報酬っていうものは何にするかってのはすごく考えます。最終的にはお金にならなくても、僕喋るとかことが色々あるので名前を出したりとか、これを作りましたって結構仕事だとどれ作ったとか言えないことが多いので契約の関係で。だけどちゃんとオープンソースにすれば僕はこういうのを作った、これだけの精度をあげましたと言えるので、そういったことができるようにちゃんと取りまとめますとか、そういったことをお金にならなくてもそう言ったことをこう価値にできるようにってことはするつもりでした。

中島:まあオープンソースだとソースコードまで見えるしコミットの数まで見えるからね。Gitってのは何かって知らない人もいたので、話をしたりもしたんですよ。Gitってすごいんですよ本当にその複数の人たちがひとつのソースコードに変更してお互いに行こうコードを見ることができるけど記録が残るんですよ。誰が何行目にこれを入れたのは誰みたいのが全部わかるので、それはそのエンジニアの履歴としてはすごいですよ。contributerの歴史

増井:僕、アメリカ行く前、10年ぐらい前の話、ある会社のコンサルティング、それこそ大手の会社のコンサルティングに行った時にそのGitじゃなく subversion という同じような仕組みで記録できるのがあるんですけど、それを入れたいっていうエンジニアと話をしたんですけど、経営層が全部ダメって言って、何故かって言うと誰かがバグを起こしたか分かると犯人探しが始まるので絶対入れないっていいて最後まで導入できなかったってことがあります。で、zipで全部管理して、誰が犯人か追って最終的にはなぜかっていうとメンバー起こした奴は全部いなくなった人か外注が起こしたバグっていうことにバグ表上なってるらしいです。中のエンジニアは誰もバグを起こしてないってなってるらしくて。面白い。

中島:あともう一つ聞きたかったのは、今割とだからその気軽に、何て言うの今回もね、やめたし、辞めるって事は食おうと思えば食える

増井:そうですね、はい。

中島:起業しようと思うできると思うわけじゃん。その辺のその環境的には良くなってると思う?

増井:すごく良くなっていると思います。今、それこそちゃんとGitとかQiitaとかネットに色んな技術的なこと書くことで、あのランキングに載ってる人であれば。最近よくあるんですよ、Twitter に僕転職したいんですけどって書くと、10件とか20件とかオファーが普通にくるみたいです。なのでメディアとかに乗っていなくても、そういったものを見ていて判断されるケースが増えていて、圧倒的にこの一年二年にで楽になったんだと思ういます。

中島:アメリカほら何だっけスタックオーバーフローとかあるから、日本もそれが整ってきたか感じ。そうすると人が動き始めるかもしれない。

増井:そういう意味では転職しやすくはなったんですけど、すごく数が増えてるかって言うとそうではなくて、もともと動いていた人が動きやすくなっただけに見えます。今まで転職しなかった人とか大きな会社にいた人が、それを使って転職しようっていう風になってるようには見えない。

中島:流動化が起こっているわけではなく?

増井:流動の回数は増えている感じがします。量が増えている感じはしないです。動きやすくなっただけで、全体の量自体は増えていない感じがします。

中島:僕はどうやったらその流動化できるかみたいに思うよね。特にそのほら、大きい会社に長くいればいるほど会社に最適化されちゃうわけじゃない、だからそも前に動いて欲しいわけだし。

増井:一つは、例えばスタートアップにいると大きい会社から転職ってそもそも来ないんですよ、応募が。一つはテクノロジースタックがけっこう違うので、大きい会社は今でもJava使ったりとか、だけど今スタートアップであまりJavaを使ったりとかないので、そのテクノロジースタックが違うから応募できないと思っている感じがしますね。

中島:勉強すりゃいいんだからね。

増井:そうですね。みんな勉強しないんですよ。仕事のこと以外。仕事で言われたこと以外みんな勉強しないので、そこが超えられるかどうかが、その転職しやすいかどうかに凄かかっている気がします。

中島:NTTからGoogleに行った人?NTTで 普通に働いてたらGoogle入れないよね?多分彼は勉強してたよね。

増井:あとそうゆう友人が近くにいたとか、研究の内容的にその新しいことを何かやっていたとか。

中島:AIとかやっていていれば。でもね、それは在るね。ミスマッチが起こっちゃうことが。

増井:逆に僕らが大企業に行けないってのもあるんです。ま、行かないですけど。今からJava勉強しようと思わないですけど。そこのテクノロジースタックのギャップはけっこうします。アメリカの大きな会社ってどうなんですかね?スタートアップと。

中島:緩やかなあれがあるかも、日本の場合業務系とそうじゃないところは。でもアメリカはなだらかにあって、スタートアップでもJavaやってるとこもあれば、大企業中でもNode.jsを使ってるとこみたいのがあるから、割とそれはそんなに崖みたいなところはない。

増井:大きな谷はないんですね。

中島:その一つの理由は、アメリカはけっこう大きな会社は内部でエンジニア抱えて開発したりしている、そうするとエンジニアたちがやっぱり自分の転職のことを考えて、何か新しいテクノロジーを使いたがるとか。

増井:ロックインされないように気をつけてますよね。その会社に属するとか、この会社にってのが多いのは、もうその視点から離れられないんだろうないって。どの会社に入るのが大事って結構みんなあるので、特にその一番初めに入る時からそうゆうつもりで入ってると思うから、もう転職するってことはそもそも頭にないですよね。

中島:そういえば思い出したんだけど、1年ぐらい前にそのとある大きな会社に、UIE、Xevoって名前に変わったんだけど、そこがソフトウェアを作っておろしてたんだけど、そこでアクセンチャーが全体システムをシステムインテグレーターとして、そこでいろんな会話をしてた時に、モバイルのアプリを作ってて、うちはiOSのアプリとAndroidのアプリを別々にネイティブにゴリゴリ作っていたんだけど、アクセンチャーの担当者がものすごくReactNativeにしたがるわけよ、それでその全体の会議でもReactが正しいとかものすごい主張して、けっこう会議が揉めて、会議の後にそいつとちょっと話して「お前なんであんなReactNativeっていの?」って言ったら「俺自身が勉強したいから」すごい正直な答えが返ってきて、

増井:完全に自己都合ですね。

中島:で、彼はアクセンチャーで今たまたまそうゆう仕事をしているけど、やっぱReactNativeを勉強してるとどっかに転職しやすいと考えているんですよ。そうゆうことアメリカ人平気でしますよ。

増井:そうですね、そんなイメージはあります。

中島:だから、そうゆうことが起こっているから、たぶん日本と違ってなだらかなカーブ。そもそものだから人が動きやすいからこそみたいなのはある。

増井:そもそも人が動く動く量が全然始めたら違うっていうのが結構ありますよね。そこがもう少しこうみんなが転職するってことを早い段階で全体に・・話しちょっと戻るんですけど、僕は高校生向けにキャリア教育の NPO のお手伝いをしてるですよ。高専とか工業、商業とか定時制とかそういう商業に近い高校生向けのキャリア教育のお手伝いをしているんですけど、そこで高校生でもみんな一つ目に入った会社で勤められるなら一生勤めたいって言うんですよ今でも。それは親がそうしてきたから、親がそうじゃなくてもそうだったことが正しいってやっぱり言ってるんですよね、聞いてると。そういう考えでいる限り、転職するっていうのは今でもネガティブなイメージが強いので、それを前提にするっていうキャリアプランはなかなかやっぱり考えにくいんだろうなと、高校生を見ててすら思いますね。

中島:それは思うよね。僕、木曜日に日経 BPのプレゼンがあって、そこで何で日本はダメだよって話をしなきゃいけなくて、そこでスライドのひとつに、平成元年の世界企業の株価ランキングと今のと比べると昔は10社中7社が日本で、今だと日本は入ってなくてアメリカと中国しかないっていうのを用意しつつ次のスライドでは2019年の就職人気ランキング、そのリストがほとんど平成元年と変わらない、相変わらずなんか銀行とか人気なんだよね。それはどうしちゃったんだろうね。

増井:それはNPO手伝っている一つの理由は、接する子供の相手に接する大人の数が圧倒的に少ないんですよね、日本は。自分が接する仕事のことで話が聞いたりする大人ってほとんど親しかいないですね。そうすると親の商業間に子供の商業間がものすごい引っ張られるです。親が公務員の子供はなるべく公務員になりたいっていうし、親が会社員の子供はなるべく会社員になりたいって言うんですね。ずっと親のそういった考えを、それは別に親が伝えているわけではなく、親の価値観なので、それを綺麗に引きずっている感じがします。それをどう剥がすかって言うのがNPOの一つの目的なんです。

中島:そこがまだ平成元年のまま。

増井:そうですね、その頃の人たちが今親になっていて、その人たちの価値観がそのまま引き継がれている感じがします。

中島:それちょっと心配だね。その子たちもかわいそうだし。さすがにこの後20年先なったらないじゃん会社。後そうゆう才能がそうゆうところに流れちゃって逆にベンチャー企業とかが・・

増井:なのでそうゆう風にけっこう学生うち課題感が起こって職業ってところで大きな分断が起こっていて、学生の時には仕事のことをあまり知ったりとか仕事をしている人の話を聞くことすらないのに、突然社会に出るので、そこのギャップでけっきょくそれが分からないままひとつ選ぶと、その親の価値観とか、とりあえず名前が知れている所って選択肢はまぁまぁわからないでもないですよね。突然就職活動になってから初めて OBOG 訪問行って、でなるとでもみんな知ってるところから行くので、みんな引きづられる。

中島:ひょっとしたら僕らの共通は、学生の頃から普通に働いていたところだね。僕の友達も基本的に家庭教師とか、そういうバイトしかしてなかったけど、僕はねASCIIってところでプログラム書いてたし。

増井:僕も会計事務所でずっと働いていましたし。僕のすごく良かったことは、会計事務所だったので、いろんな中小の社長と話す機会が多かったんですよ。いろんな会社のいろんな業種の話を聞けたので、ちょうどその会計事務所の先生もどんどんいろんなところ連れてってくれたんですよ、ヒヤリングの時に。それはすごくプラスになっているので、なのでそれを教えたいってことで、その活動をしています。

中島:学生は特に社会人と触れるのはいいって言うのはあるよね。でも受験勉強には全く役に立たないよね。

増井:社会人も同じで、自分が職業入った年も、あんまり他の職業のことを知る機会がないですよね、スタートアップの人は大企業のことを知る機会はないし、大企業はスタートアップが何をしてるのかってのをドラマの中でなんかキラキラしたオフィスで働いてるぐらいのイメージしかたぶん持たなくて、そう言ったのは社会人になっても続いてるんだろうなと思います。

中島:それは思うね。僕は一瞬でもNTTに1年しかいなかったんだけど、一瞬でもいたことが、結構プラスになっていて、それは実際に見て学んだってこともあったけど、やっぱり実際に見たっていうキャリアのあるっていうことで信頼されるのもあるよね。でも転職しない人多いよね。でも、そういいながら最近3年ぐらいで辞める人が出てるっても

増井:でも良く言われるんですけど、統計上3年で辞める人の率って実はここ20年30年変わってないですよよね、3年で3割が辞めるってのは、昭和の頃から変わってないです、実は。新しい傾向でもないです。どっちにしろさっき言ったようにギャップがある中で、よくわからなううちに入って3割が辞めるって言うのは、ごくごく自然のことなので、その新卒一括採用みたいのが変わらないかぎり、その3割は変わらないと思います。あの3割はシステム上の問題でミスマッチが起こった3割だと思うので。

中島:この前もなんか、10月かな、たまたまここに来た時に、ある電車の駅で、本当に同じ服装をした人たちがずらずら乗ってきて気持ち悪かった。

増井:量産型ってよく言われますけどね。

中島:本当にコピーのクローンのように。

増井:でもあれ面白いのは、バブルの頃の写真を見ると違うんですよね、みな。だけどもうあれは平成に入ってからですよね。。

中島:あれは、僕はインターネットのせいじゃないかなと思っていて、インターネットで情報が共有しやすくなったからリクルートスーツみたいなのがどっかに書いてあった。

増井:そうするとみんなそれに従った方が楽だから。学生にも聞いたんですけど選ばなくてよくて楽だからといっていましたね。考えなくていいから自分で好きなのきてけって言われて、着ていくのめんどくさいから服1着買えばいいから楽でいいですよって言っていました。

中島:今日の服のことは話さないていいの。

増井:僕最近趣味でDJ始めたんですけど、DJ始める時にキャラクターを書いてくれて、せっかくなので自分のキャラクター作って、色々着たりとか、僕はお風呂で仕事をしてるので、ちゃんとTシャツもお風呂でこのMacも完全にお風呂に浸かってるけど。僕年に5 、6回道端で知らない人に声かけられるんですよ。突然「増井さん、お風呂の人ですよね」と声かけられて、これなるべく着て歩かないようにしています。ほんとにあちこち見つかると怖いので。

中島:そうね、悪いことできないね。でもお風呂の写真はネットに散らばってるから。

増井:あれ、面白いのが、海外のカンファレンスで、自己紹介の時に必ずあの話をするんですけど、だいたいどの国でも受けますね。

中島:僕もどっかで日本には風呂でプログラムを書く奴がいるってネタにしたことがある、アメリカで。けっこううけたよ。

増井:そうですね、前のNodeのヨーロッパのカンファレンスで僕の写真が話題にあったらしくて、みんなばかうけしてたよって他の人が教えてくれました。

中島:思い出した。会社でSlack で、なんかアメリカ人で決まった言葉を3文字ぐらいで言うわけ、On My Wayは、OMW。その時にWFBって書いてきたやつがいて、僕なんだかわからないから、なんだって聞いたらWork From Belltown?という意味だった、僕は、Bathかと思って、バスで働くわけないだろって時に写真を貼り付けて

増井:いいですね。でも、こうゆうのがあると非常に役立ことがあるんですよ。こういうアイコンがあるって。おかげで、お風呂の人って呼ばれるようになって、前は、銭湯で声かけられました「お風呂で会えて光栄です」って言われました。

中島:でも、英語で喋るとか、結局覚えられることは大事だから。

増井:そうですね。これは僕もこんなに流行るとは思いませんでしたから。

中島:それは売ったんだっけ?

増井:これは売ってます。今は十何枚か売れてます。

中島:あと、聞きたかったのは、どうやったらもっとエンジニア増やせるかなって言う。

増井:そうですね。結局まず一つは、学生の時から理系しかエンジニアにならないって言う、エンジンには理系が必要だっていうところから、僕は変えなきゃなと思っていて、子供向けのいろんなのやってるんですけど、小中学生向けのプログラミングコンテストの審査員とか、小学生は女の子が多いです結構、中学生からぐっと女の子が減るんです。男性の理系の人がエンジニアになるんだってイメージが強すぎて。そこら辺から変えないと増えないんじゃないかなと思います。

中島:それは、アメリカですら言われてるからね。

増井:もう一つは僕はエンジニアはプログラムをIT系の会社でエンジニアに、それこそアプリを作る会社じゃなくて、普通の事業会社でエンジニアリングをやる事ってもっと増えていいと思うんですよね。高校生の時にやってたのは、あるチェーン店ですごいちっちゃいプログラムを作ったりとか、そういった形のエンジニアがもっと増えるべきだと思っていて、他の事業のことが分かってるとか、他のスキルがある人がプログラミングでそれをもっと自動化したりとか、それをもっとをテコの原理で伸ばしてくみたい所に、そういったことができるエンジニア が増えていくって、伸びていった方がいいんじゃないかなと思っています。

中島:それは、僕は日本とアメリカの違いは感じるかも。アメリカは普通の企業が一生懸命でエンジニアを採って、自分たちの中で作らないとっていう危機感は持っているけど、日本は相変わらず、なんかどっかのIT企業に頼っているという。けっきょくますますソフトウェアを作っている時代だから、放送だって小売だってどうやってアマゾンと戦うんだみたいなこと考えるとエンジニアなしにやっていけないよね。

増井:そうですね。25、6とか20代後半から30代前半ぐらいでエンジニアに転職したいとか勉強したいって人、けっこう相談くるんですよ。だけど、彼らにどうやったらエンジンになってもらえるのかって、何度も考えるんですけど、すごい難しいですよね。どういう彼らにエンジニアリングを覚えてもらう場所がまずないっていうのがあって、エンジニアリングスクールみたいなのはいくつかありますけど、じゃあそこに行けばいいのか、それでも自分で学習できる今いろんなサービスもありますし、それとも教えればできるようになるのか、どういうルートを通らせれば、なりたいと思う人増えたんですけど、それになるための教材とか勉強するコンテンツを僕がまだ勧めるのがなくて、それがどうやったら作れるんだって僕も課題感としてむしろあります。

中島:それこそオンラインでできそうな気もするけどね。今ないのかもしれないけど。僕のところに質問くるのは、やっぱり大学の時に何をやりたいかわからないから、そのまま就職しちゃいましたと。で、何年か働いてやっと気が付き、でこれは、エンジニアスキルを持ってると、会社のためにもなるし自分の転職も有利だなって気がつくのは25、7とかで、まぁ遅くはないわけ、実質的にはね。だけどどうやって勉強するかはけっこう課題だね、仕事しなきゃならないし。

増井:その人たちは、僕らエンジニアが持っていなバックグラウンドを持っているので、ほんとはそれを生かしたアディショナルスキルとして、もっと展開、それがあることで広がりを持てるよっていろんなところで話したい。

中島:僕よく聞かれるんだよな。何言語でやったらいいでしょうか?言語の問題じゃんだけど、ほんとは。毎週のようにメルマガに質問がきて、今週もあったなPythonとRubyどっちがいいでしょうか?

増井:必ず聞かれますね。

中島:言語はなんでもいいんだけど、僕ななんでもいいから作ってみなさいっていっているけど。作りたいものがないと続かないから。そう言われたからってね。

増井:方法がわからないと、作りたいものは出ないんですけど、ある程度。

中島:僕なんか、アセンブラから始まったから

増井:僕らも昔とずいぶんと違いますからね。

中島:ゲームとか作ってたから、それはそれでラッキーだったのかもね。子供の頃だからあまり気にしない。そういう意味では、ゲームでも作るのがいいかもね。純粋にスキルセットをためてくっての。でも今更ゲーム作る気にはならないか。

増井:みんなゲーム好きとは限らないです、子供の頃だったら喜んでゲーム、作ってましたし。

中島:よくあるライフゲームを作るとか。

増井:もう、ライフゲームって言えばほとんどの人がわからないと思いますけど。

中島:ライフゲームは10回くらい作ったかも。いろんな言語で。

増井:そういうのは、SameGameとか僕はよく作るのがあって、同じものをいろんな言語で作ってますね。

中島:いい練習になるよね。

増井:自分の型みたいのがあるので、それをやって再実装したり。

中島:だからそういう話をちゃんとした方がいいのかもね。例えばSameGameとかねライフゲームを作るって僕らにとっては、新しく手に入れた型なんで試し斬りするような感じじゃない。だからそうゆうのを本当はしないと、こうスキルとしてアップしないのかも。で、いきなりなんか、僕メルマガで答えちゃって、会計士をやっていて「プログラミング勉強してるんです、何をしたらいいでしょう」「じゃあ会計ソフトを作ったどうしたらどうでしょう」って返事を出したら、なんかすごく悩んでるらしく

増井:会計ソフトは難しいですね

中島:どっから手をつけていいのか分からないみたいで

増井:それは税金用の電卓を作るとかそういうような話からのが多分良かったのかと思いますけど。そうゆう意味ではプログラムを書くって、ものを作る全体の実はごく一部じゃないですか。企画をしてそれがどうやって形にするべきか考えて、それを設計してプログラミングして、それを実際使ってもらうためには、場合によってはマニュアル書いたり、営業入れたりとかいろんなことがある。いろいろあるって言うその全体像がわからないので、プログラムの勉強とかで、みんなそこになかなかいかないってのは気がするんですよね。

中島:そういう意味でいうと、よくいう車輪の再発明ってのはいいのかもね。ルールが決まってるからね。僕がマイクロソフトの時に僕の下にMITからきたのは優秀なやつだったけど、そいつが最初にプログラミングしたのはテトリスのクローンだった。

増井:皆そうですよね、勉強するときは。新しいものを作る、技術新しくてもいいけど、別に作るものが新しい必要はないので。

中島:そいつが面白いのは、テトリスを作った理由が、その同じ部屋にいたそのルームメイトがテトリスが大好きで、毎日してたと。でそいつにいじわるをするためにテトリスクローンを作って、わざとうまくはまらないのを落とすっていうので、ほんとに気がつかないぐらいのクローンを作ってそいつのコンピュータに入れて、で失敗するのを遊んでみてたっていう。

増井:すごいですね。ものすごい難易度が高いテトリスですね。

中島:それを聞いた瞬間にこいつを雇うしかないと思って雇ったら、本当に優秀だった。この前久しぶりに会ったら、ナンプレを自動的に解くプログラムを書いていて、僕が「あ僕ナンプレ自動生成プログラムがあるから、その二つのプログラム同士をデートさせようか」って言ったけど、そうすると僕らは要らないっていう。。

増井:そうですね。コンピュータが作ってコンピュータが解くっていう、それ眺めて楽しむだけ。

中島:って話でふたりで盛り上がってたら、お互いの奥さんが、なんかこの人たち話してるの、みたいな。

増井:わかります。

中島:そういえば、奥さんはプログラミングとか関係ないの?

増井:全然、そうじゃない奥さんを探しました。

中島:うちもそうなんで。でも、いつもメルマガを一応みてくれてて、添削だけはしてくれる。でも専門用語が出てくると全然ついてこれなくて。

増井:でも、別の人に読んでもらうってのはいいですね。プログラムが分からない人に読んでもらって分かるようにかけるのが一番なので。

中島:ちょっと戻すと、シンギュラリティソサエティみたいなところで考えたいのは、そういうその勉強する仕組みだったり、もしくは教育システムだったりっていうのはやっていきたいので。

増井:そうですね。どうやったら、その何をゴールにするかってのが、プログラムを覚えることがゴールじゃないので、プログラムを覚えて何を作りたいかによって学ぶプログラムが違う、それこそ言語が違うのかもしれないし、もしかしたらプログラムじゃなくてエクセルでいいかも知れなくて。

中島:そもそもプログラミングとかを何かが分かってないと、そのプログラマ、例えばある会社として問題があるとかアイデアがある時に、そこにそもそもプログラムが必要。それは自分たちで作れるものなのか、買ってこなきゃいけないのか、どっかに頼むのか、その辺の経営判断すらできないわけです。だからそこくらいはできるようになりたいと思っている人はいると思う。

増井:そうですね、僕のところに来る人も、結構そういうので、外注でお願いしてるんだけど彼らが何をしてるか知りたい、それで自分が勉強したいっていう人がちょいちょい問い合わせがありますね。

中島:外注に頼んでいるのに?

増井:頼んでるので、それを自分でもう少しわかるようになりたいとか、むしろできるようになりたいとか。

中島:ITのことって難しいじゃない、特に経営判断って。僕がブログで Androidをテレビに載せるかどうかって会話のことを面白おかしく2010年くらいに書いたんだけど、僕はその時はシャープかなんかで起こっていることを知ってたからそれを引き合いに出したんだけど、ソニーでも起こっていて、結局ソニーも Androidテレビ出しているんです。散々僕はあの時貶したんだけど、結局ビジョンがないから出ていて、ソニーからテレビとプレステを買って繋いでも、プレステ側の ID と AndroidテレビのID は違うんです。AndroidはGoogle だし、そっちの情報は全くソニーに来ないっていう状況のテレビを売ってるんです。それは本当は、Android を入れるかどうかっていう経営判断の時にしなきゃいけなかったのに、多分その経営者は何もわからず、Android が流行っている、エンジニアに「Androidどうなんだ」って聞いたら「とってもいいOSです」「じゃテレビにのせた方がいいかな」みたいなこと言うと「いいと思います」そうゆうなんか本来の戦略的な会話がされずに。

増井:IT戦略がないからですよね、そこには。

中島:で、それが今ブロックチェーンとAIに起こっているんじゃないかな。今あるいわゆるITゼネコンにとってはすごい儲け話で「あ、お宅のIT戦略は・・」みたいな、IBMとかそれで今もう・・ね。IBMの人がいたら申し訳ないけど、IBMのワトソンっていうのは、あれは本当に宣伝の道具でしかなくて、お客さんに対して「お宅AI必要ですよ」って言ってコンサルでお金をがっつり取って、ひょっとするとワトソンは使うかもしれないけど使わなくても、とにかくコンサルティングフィーだけとればいいみたいなので、それは今AIとブロックチェーンで起こってます。

増井:その二つをやりたいですっていう会社は9割9分カモですよね。

中島:経営陣はなんか言葉だけ知ってるから。

増井:普通に考えれば、ほとんどの会社に必要ないですからね。少なくとも世の中の99%の会社は今の段階では必要ないですね。

中島:プライベートブロックチェーンほど意味がないものはないんだけど

増井:全く意味がわからないですね。

中島:ほんとにプライベートチェーンて売ってるからね。それでビジネスしている人がいて、日本でもブロックチェーンをビジネスに取り入れるっていう会社は15%くらいいて、怖いよね。それは結局ITコンサルティング会社に騙されるだけだよね。

増井:僕はちなみに、トレタの時にやっぱり会社の中でブロックチェーンやった方がいいじゃないのという話があったんですよ、なので、エンジニアの人以外経営層全部含めてブロックチェーンが何をするのかっていう講習を1時間やりました。それ以降二度と出てこなくなりました。恥ずかしいからそうゆうことは言わないでくださいって。

中島:中途半端にわかってるとね。

増井:ほんとに、みんなブロックチェーンとか好きですよね。新しいキーワードって。

中島:申し訳ないのは、僕もブロックチェーンが出てきたときに論文が出てきたときに感動してこりゃすごいテクノロジーって褒めちゃったわけです。

増井:あれはテクノロジー的には僕は素晴らしいと思うですけど。

中島:別にそれは、何に使えるって話はしてないじゃないですか。仮想通貨自身はいいけど、結局バブっちゃってうまくいかないねで、終わっているはずなのになぜかブロックチェーンって技術はすごいだけが一人歩きしてて、その分散だっていうことを忘れてプライベートブロックチェーンとか、ほんとに矛盾してるよね。

増井:思いついた人は、ある意味新しい発明だと思いますけどね。

中島:プライベートブロックチェーンという言葉には要注意ですね。

増井:でも本当に経営の人がわからないと、そういう風になるなるってのは、まぁまぁ大きな一つの弊害ですよね。僕、スタートアップどういう会社がいいですかって言われる時とかに、経営層の近いところにエンジニアリングがわかる人がいないと、多分相当辛い、さっき言ったじゃ自分のミスをすごいするので、転職先として。どうゆう会社がいいですかってときにそこを引き合いに出しますね。

中島:それもあってその経団連とかはすごく心配ですよね。

増井:さっきのNTTの人も書いてましたしね、上の方の人たちが結局エンジニアリングのことがわからなくて、辞める一つに原因って書いてましたからね。

中島:そのそもそもそういう会社が、生き残ることが正しいのか、疑問になってくるよね。例えばハードウェアの会社がありましたと、上の人たちはハードのことをしてきたので、あんまソフトのこと詳しくないわけ、でも本当は今はソフトとハードをうまく組み合わせた会社こそ面白いことができるから、お金もあるしリソースもあるから大チャンスなのに、結局上がソフト分かってないからできないっていうすごいもったいないと状況になってる。ああいう会社を救うべきなのか、もうさっさと・・

増井:僕はさっさと見切りをつければいいんじゃないかと思いますけどね。

中島:でも今日はそうゆう会社からきている人も、いっぱいいるので。

増井:すぐ何社か思いつきますけど。僕は会社はもっと入れ替わってもいいと思っているので。自分は転職もしますし、ただでも会社はもっともっと入れ替わっても、結局会社になってくって、ひとつのビジネスを掘ってくことが多いと思うんですよ。例えばトレタだと飲食の予約管理をしているので、基本的に飲食という軸を縦にずっと掘ってくんですね。いろんな飲食に関するいろんなもの。うちだと予約管理なので、効率的に同じ方向に掘っていくことになることが多いです、そうすると先細りになっていくことが多です。もうひとつだと、横に広げて掘っていくって方法もあるんですけど、ほとんどの会社はそれを取れないので、単純に効率を考えれば広げるよりも掘ってた方が短期的に収益が高いので、そうなったらたくさん会社作っていた方が横による代わり、いろんな会社に作らせて、ある程度伸びたところに投資をするなり、っていう方が理にかなっていて、会社があんまり長く存続するのは、特にこんなに技術の入れ替わりとか社会の入れ替わりが早くなったなら、それだけその会社も同時に早くなるべきだと思うんですよね。

中島:会社の新陳代謝ね。30年前の会社がダメになるのは当然で。

増井:当然だと思います。

中島:そう意味でいうと、実は30年前と今のを比べて大騒ぎしてるけど、実はアメリカの大きな会社もけっこうダメになってるからね。だから、アメリカの場合は新しい会社が生まれてきているから、ランキングがあるけど日本はそこに入っていないという、それだけの話。

増井:そうですね。多分昔のトップの方に出ていたアメリカの会社も、多分今ない会社多いですよね。アメリカで結構大きなとこの破綻とか小売も含めてすごいよく聞きますよね。

中島:コンパックとかHPとかすごいよね。デジタルリサーチから始まって

増井:SUNとか色々なくなってる会社多いですよね。

中島:みんななくなっちゃったもんね。

増井:そうゆう風になるのが正しいと思っているので、そう考えると結局転職せざるを得ないってことは出るので、みんな考えるんだろうなと思うんですけどね、転職のこととか。

中島:そういえば、質問コーナーっているんだっけ?

武藤:まだお時間少々あるので、中島さん、増井さんに質問ある方、挙手をお願いします。

質問:今日はありがとうございました。トレタの社員の数が120人ってお話ありましたけど、数10人から100人くらいのプロジェクトで、経営側から大切にしていることとエンジニアとして進めていく上で、大切にしていることがあれば教えていただきたいなと。

増井:僕がみているのは開発側の組織で、開発側の組織はそんなに大きくなってないんですね。そういう意味では開発側の組織を大きくしないっていうのをずっと気をつけてました。要するに人の数を増やしてもコミュニケーションコストが上がっていくので、なるべく人を増やさない、変な人と働くぐらいだったら、その人とらないで自分が二倍働いたほうがいいって僕は思って組織を作ってました。エンジニアで言うとさっき言ったようにポータビリティをすごく気にしていて、自分が持ってる技術がどっかでしか役に立たないとか、狭い領域でしか役に立たないものには自分の技術時間はあまり投資しないっていう風にしてます。もちろん特定の業務について勉強することもあります。トレタだったらトレタ用に勉強することもあるんですけど、ポータビリティがない、要するに他の業種に持っていけない、他の会社に持ってけない場合には、そこにあまり時間を使わなかったり、それをなるべくポータビリティが高いものに変えてくとか、僕はエンジニアとして気にしています。

質問:お話ありがとうございました。最初、Kitayonのお話を伺った時に、気心の知れた仲間だからこそ成り立たせることができたという風にお伺いしたのですが、もっと大きなことをやろうとした時にそれでもそれを不特定多数と頑張りたいという風なことを思った時に、どういう風な解法を探っていけばいいのかなと質問させていただきました。

増井:僕、Kitayonの他にpukiwikiっていう2002年に始めたPHPで作ったWikiエンジンのプロジェクトがあるんですが、あれはほとんどネットで会ったことがない人同士で100人ぐらいのプロジェクトなんですね。もの凄い人数が多くて、全員バラバラなんですけど、もうその時には僕が何を目指してるのかっていうのは、はっきりゴールイメージを作っていて、もうそれに合わないものはむしろこう、容赦無く切り捨ててくみたいなすごい強いプロダクトオーナー制みたいなのをもっていたので、例えば、みんなが大事だと思っても僕が大事だと思わないものは入れないとか、そこを強くして、ある種独裁に近いような形で決めてって、合わなければむしろ抜けてもらってもいい。さっきいった気心知れた人たちの場合は、みんなでやることに意味があるので、そこはみんなで合意を取ってやることもあるんですが、もっと人数が多くなった場合にはどっちかというとトップダウンでこれをやりたいとか、合わないなら抜けてもらってもいいです、みたいな話をしてプロジェクト運営をしていました。そのあと10年後ぐらいに日本に帰ってきてから会った人に、そん時一緒にやってた人に会ったんですけど、あの頃お前はすごいやな奴だったってあとで言われました。ずいぶん丸くなったねって話その時されました。

中島:例えば今でいうと、ある機能を付け加えたくてpull requestを投げてきた人に「あ、これ却下」みたいな。

増井:そうですね。バツンとやりました。本当にお前は嫌な奴だったと言われましたね。逆にそうおこらないように、僕はこういったことを目指してるってのは、よく言ったりとか、講演の場で喋ったりとかで、僕はこういったことを目指していて、こういったことはやらないって話は細々してました。なのでそんなになかったと思うんですけどでも嫌な奴だったんですね。

中島:ま、それはね、頑張って仕事をすると嫌な奴になるんです。僕も結構マイクロソフトの中とかで僕のことすごい嫌ってる人いました。

質問:今日はありがとうございます。おふたかたですね、昔からたくさんいろんな製品、サービスをおつくりになっていて、私も追っかけのようにビデオ撮ってエフェクトしたりとかりいろんなことをさせいただいてますけど、たくさん作って関わっていくと色々、てあかもっていうんですかね、自分がタッチしてるものが増えると思うんですが、おそらくたくさん作る以上にたくさん切ってきてると思うんですが、製品ですねもしくはサービスあの、愛着あるものも、どっかで見切るときあると思うんです。それのきっかけとかタイミングとかあのコツみたいなのがあったら教えていただきたいなと思います。

増井:僕は簡単で、あんまり愛着持たないんですよ。そもそもあんまり自分が作ったものが今日手を離れてもあまり苦にならないですし、例えばあるとき断捨離をして、荷物を全部でダンボール7箱まで減らしたりとか、もともとこう、大胆に切るの好きなので、なので今までどれかを手放すのに苦労したことはないです。実はキタイオンを別の会社に売却する時に、トレタの別の株主から増井がそれにもっとその気を削がれてしまうんじゃないかって言うので、危惧されたことはあるんですが「大丈夫です僕全然明日からすぐ忘れるんで」って言って、Kitayonも売却したあとは会社も2回くらい見に行っただけで、その後全くタッチしてないですね。

中島:私は結構悩みや悩みです。割と愛着あるんですけど、その無理なんですよ、永遠とメンテナンスするのは。特にこうテクノロジーがどんどん変化しちゃうので、極端な例がその Cloud Reader っていう違法でダウンロードした漫画を読むためのソフトが、iPad出た時に出したら、あれものすごいユーザーがついて無料で配ってたので、広告だけで月1500ドルぐらいコツコツ入ってたんです。でも別にアレでそれこそそれこそもう十分だと思ったから、プロダクト自体フリーズしておいていたら、どんどん OS が新しくなるので 、OSをアップデートすると動かなくなるっていう状況でどんどんユーザーが減ってるんですけど、でももうあれobjective-C で書いてるし、今更コンパイルしても絶対直してくれないぐらい古くなっちゃっているので、直せないんですよね。ちょっと愛着はあるんだけど全部swiftで作り直すかって言うと、それほどこう自分自身でプロダクトニーズを感じてないし、あれはやっぱり最初だったからやりたくて面白くてやったわけで、今でも時々そのコメントでくるんですよ、動かないんですけどどうしてくれるんですかみたいな。それは結構悩みます。

質問者:気持ち的旬が過ぎたら、もう切っちゃうみたいな。

中島:僕は切っているつもりはないんだけど、OSだったりハードウェアが勝手に進化していくので、私は切りたくないのに切らざるを得なくなるみたいなのはありますよね。

増井:溺れる人は助けないみたいな感じですね。沈んでいくプロダクトは。ちなみに僕はKitayonを売却したのはそのそのためで、僕はどっちにしろテンションが続かないのはわかっていたので、あれを作ってたときから僕がメンテナンスしないという前提でドキュメント趣味で作ってないドキュメントをしっかり書いてテストを書いて CI 回してみたのやったは、始めから手放すことを前提にしてるってのはありますね。僕がオープンソースが好きなのは、自分が作らなくても手放した後に誰かが作ってるくれる、PukiWikiって今でもやってる人がいるんですよ。もともと僕が作って今でも最終管理権を僕は持ってはいるんですけども、何年もタッチしてなくて、ただ誰かが進めてくれるっていう風にしてなので、フリーで公開することが多いです。

中島:あと一ついうと、この世界って結局その思いっきり成功するかしないかの瀬戸際が来るので、そのPhotoShareがいい例で最初はもうナンバーワンだったんだけど、Instagremが出てきてパーンと抜かれたところで終わりですよね。あれほど逃した魚で大きい魚はいないですよね。

増井:いまだにインスタ使わないんですよね。

中島:インスタって言葉を聞くとちょっと・・

増井:僕は初めから使ってました。多分ここがその差ですね。

質問者:最後、大変腑に落ちました。

武藤:ありがとうございます。こちらで最後でもよろしいでしょうか。

質問:今のお話に関連してるんですけど、逆に始めるタイミングで、特に増井さんの話聞いてると、すごいやりたいビジョンが大きいものがあってそこ対して向かっていくっていうよりは何か違うのかな、なんかって風に聞こえたんですけど、どういったタイミングではじめたりしてるんですか。

増井:僕ネットに作りたいものリストって公開してるんですよ。普通に、増井ドライブ作りたいものリストで検索すると出るんですけど、普段からこんなのあったらいいのにってちょいちょい思うわけですね、こんなソフトあったら良いのにとか、ここもうちょっと良くなるものがあったらいいのに、とかいうのは普段からメモを取っていて、時間ができたり、そういうの公開してる話をあちこちでして、これ欲しいんです言われたりすると、それを作ったりとか、で年に一個ずつ物を作るっていうのは自分に課してるので、そこん中から適当な文を選んで作ってるって言う感じとかになります。

武藤:お話もなかなか尽きないのですけど、ちょっとお時間の方もございますので、またこの後懇親会に出られる方いらっしゃいましたら、またお話の続きはその際にしてもらえればと思います。今をもちましてですね、中島さん増井さんの対談イベント話題4ということで終了させていただきたいと思います。YouTube のライブでご覧いただいている方はこちらまでとなりますので、この後は休憩後、会員の皆様の発表会言うことでまた引き続きよろしくお願いいたしたいと思います。どうもありがとうございました。