1. かつて大企業は「内製R&D」で世界を獲っていた
20世紀の産業競争において、勝敗を決めていたのは自社研究所だった。
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製薬:新薬は自社ラボで生む
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化学:新素材は自前で開発
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電機:新デバイスは社内研究所発大企業=研究機関であり、
研究テーマを決めるのも、予算を持つのも、すべて企業側だった。
この時代、研究者のキャリアのゴールは明確だった。**「論文 → 評価 → 昇進 → 定年」**金銭的な成功や事業化の主導権は、研究者個人のものではなかった。
2. しかしこのモデルは、医療・化学から静かに崩壊した
最初にこのモデルの限界に直面したのは、**製薬・医療・化学という、最もR&D比重の高い産業だった。**新薬開発は、
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期間:10〜15年
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成功確率:数万分の1
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投資額:1テーマ数千億円
しかも失敗すればすべてゼロになる。
このリスクは、もはや一企業が抱えられる水準を超えた。
そこで世界の製薬・化学大手が選んだ道は明確だった。
✅ 自社で最初から作らない
✅ 大学・スタートアップに外注する
✅ 成功確率が見えた瞬間に「買う」
この瞬間、産業構造は決定的に変わった。
3. 「マネタイズ前に買う」という、逆転した資本の論理
現在、世界のM&Aで最も熾烈な争奪戦になるのは、次のゾーンだ。
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技術は完成している
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PoC・初期検証も終わっている
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しかし:
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売上はほとんど無い
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黒字にもなっていない
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いわゆる**「マネタイズ直前ゾーン」**である。
この段階の企業は、
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企業価値:数十億〜数百億円
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失敗確率:大幅に低下
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伸び代:10倍以上
という、大企業にとって最も“安く・安全に・将来を買える”状態になる。
ここで重要なのは、この構造が意味することだ。「もはや、マネタイズは“買った後でいい”」市場を作ることそのものが、すでに出口(バイアウト)として成立する時代に入ったのである。
4. この変化によって、「天才たちの人生設計」そのものが変わった
この構造変化が最も大きく変えたのは、天才たちの行動様式だ。
かつての天才はこう生きた。論文を書く → 学会で評価される → 大学・研究所に残るしかし今、世界の才能の最前線では、生き方そのものが変わっている。
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発明する → 起業する → 失敗する → また起業する →
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失敗する → それでも続ける →
-最後に1社が数百億円で買われるしかもこれは例外ではなく標準ルートだ。
重要なのは、
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途中で何度失敗しても
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売上が立たなくても
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黒字でなくても**「市場さえ作れていれば、次がある」**という点だ。
なぜなら、その市場の「芽」こそが、大企業にとって最も価値のある資産だからである。
5. だから彼らは“死ぬ気で”やる。合理的に。
この構造が成立すると、天才たちは合理的に次の行動を選ぶ。
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研究だけしていても、資本は動かない
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起業すれば、市場に直接アクセスできる
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市場を作れれば、売上がなくても「出口」が見える
結果として、**「人生を賭けて、世界を獲りに行く」**という行動が、ギャンブルではなく“合理的投資”になる。
だから彼らは、
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週100時間働く
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何度も会社を潰す
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それでもやめない
それは精神論ではない。構造が、そういう生存戦略を“最適解”にしてしまったのである。
6. IT産業は、この構造の“最終工程”として現れた
この構造は、医療・化学だけにとどまらなかった。
やがて同じ原理が、ITへと完全に波及する。
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検索
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SNS
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クラウド
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AI
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セキュリティ
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データ分析
これらも今や、
✅ 小さな会社が市場を切り開き
✅ 兆しが見えた瞬間に巨大企業が囲い込む
という構造が完全に固定化している。
つまり現在の世界は、**「外部がR&D、内部がグロース」**という産業モデルに、全産業が統一された状態に入ったのである。
7. 日本はこの構造変化に「頭では理解し、制度では完全に取り残されている」
世界ではすでに、**スタートアップという巨大な外部R&D市場から、
大企業が“成果だけを買う”**という産業構造が完成している。
だが日本では、この構造が頭では理解されながら、制度としてはほとんど実装されていない。
その結果、日本の大学発スタートアップの“統計”そのものが、この失敗を雄弁に物語っている。
8. 数だけ増えて、ほとんど淘汰されない――日本の大学発スタートアップの異常な実態
経済産業省の調査によれば、日本の大学発スタートアップはこの10年で約3倍に増え、総数は約5000社に達した。
一見、活況に見える。しかし、問題はその**「中身」**だ。
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2014〜2023年度の新設数:約2500社
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活動中の企業数もほぼ同じペースで増加
-設立数に対する“存続率”は9割超つまり日本では、**ほとんど淘汰されない。ほとんど入れ替わらない。**一方、米国ではまったく逆の動きが起きている。
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直近10年間の新設:約1万社超
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活動企業数の純増:約2500社
-**存続率は約25%米国では、“ダメな企業が大量に消え、その中から当たりだけが残る”**という新陳代謝が、制度として機能している。
日本はこの市場の代謝機能そのものが、構造的に止まっている。
9. 上場しない、買われない、しかも“本来のやり方で勝負させてもらえていない”
日本の大学発スタートアップの現状は、数字だけを見ると厳しい。
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新規上場は
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2020〜23年で6件
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2024年は0件
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売上分布は
-売上1000万円未満が約半数-売上1億円超はわずか2%- 営業損益は
-赤字またはゼロが6割この数字だけを見ると、日本ではしばしばこう総括される。
「稼げていない」
「ビジネスとして弱い」
「経営が未熟だ」
しかし、この評価そのものが、世界標準のスタートアップ観と完全にズレている。---
■ 本来、スタートアップは「黒字を目指す存在」ではない
世界標準において、スタートアップとはそもそも――
✅ すぐに利益を出す組織ではない
✅ 既存市場で堅実に儲ける存在でもない
✅**“お金を燃やしながら、新しい市場を作りに行く装置”**という位置づけにある。
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売上が立たない
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利益が出ない
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資金がどんどん減っていく
これは失敗ではなく、正常運転である。
彼らが挑んでいるのは、
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まだ存在しない市場
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まだ成立していない顧客層
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まだ証明されていないビジネスモデル
という、最もコストと不確実性が高い領域だからだ。
■ 世界では「燃やして、ダメなら畳んで、次へ行く」が前提
世界のスタートアップの基本動作は、極めてシンプルだ。
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資金を集める
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一気に市場を取りに行く
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ダメなら
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会社を閉じる
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次に行く
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また挑戦する
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このサイクルを数年単位で高速回転させることで、
✅ 99社は消え
✅ 1社だけが世界を取る
という前提で、エコシステムそのものが設計されている。
重要なのは、「倒産や撤退は、失敗ではなく“設計された検証プロセス”であるという発想が、社会全体で共有されている点だ。
■ しかし日本では、真逆の力がかかり続けている
日本の大学発スタートアップを取り巻く構造は、この世界標準と正反対にある。
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早い段階から売上を求められる
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黒字化が“善”として扱われる
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赤字は「経営失敗」と見なされやすい
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会社を畳むことは「敗北」や「脱落」と捉えられる
その結果、何が起きるか。
✅ 本来“燃やすべき資金”を使い切れない
✅ 市場創造より「当面の売上」を優先する
✅ 大きな賭けを避け、小さく安全に生き残る
✅ そして「9割が存続するが、誰もスケールしない」
という、世界的に見て最も不利な均衡状態が生まれる。
■ 「稼げていない」のではない
「本来やるべき“市場創造の勝負”を、本気でやらせてもらっていない」
売上1000万円未満が半数、
売上1億円超が2%――
この数字が示しているのは、**「挑戦が足りない」のではなく、
「最初から“大きく張る設計”になっていない」**という事実である。
本来ならスタートアップは、**利益を気にせず、
資金を使い切ってでも市場を奪いに行き、
ダメなら潔く畳んで、次に行く**存在であるべきだ。
だが日本では、
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燃やすことが許されず
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撤退も許されず
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次に行く道も細い
という状態のまま、“生き残ること”だけが最適化されてしまった。---
■ その結果生まれたのが「死なないが、誰も勝たない市場」である
日本の大学発スタートアップの現状は、要約すればこうだ。
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起業数は増える
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会社はほとんど死なない
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しかし――
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上場しない
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買われない
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大きく稼ぐ企業もほとんど出ない
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つまり日本は今、**「失敗もしないが、成功も生まれない」
という、最もダイナミズムのない状態**に入ってしまっている。
10. 「買う社会」へ――日本をもう一度、挑戦が“合理的”な国に戻すために
ここまで見てきた通り、日本の停滞の本質は、**人材や技術の不足ではない。問題は一貫して、ここにあった。「挑戦しても、燃やしても、失敗しても、
その先に“合理的な出口”が制度として用意されていない」**この一点に尽きる。
■ 世界はすでに「外部R&D × 買収 × 再挑戦」で回っている
世界の産業構造は、もはやこうなっている。
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スタートアップ:
→ お金を燃やして市場を作る外部R&D装置- 大企業:
→ 立ち上がりかけた市場と技術を買って一気にスケールさせる装置- 起業家・研究者:
→ 失敗しても次に行ける連続挑戦者- 投資家:
→ 燃焼と失敗を前提に支えるリスク循環装置この分業が成立している社会では、
✅ 99回の失敗は“必要経費”
✅ 最後の1回が、すべてを回収する
という極端に高いイノベーション効率が成立する。
■ 日本だけが「燃やせず、死ねず、次に行けない」構造に閉じ込められている
一方、日本ではどうか。
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燃やすことが許されない
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赤字は即「失敗」
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会社を畳めば「敗北者」
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次の挑戦は著しく難しくなる
その結果、日本では――
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起業数だけが増え
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会社はほとんど死なず
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しかし誰も世界を取らない
という、最も非効率で、最もダイナミズムのない均衡が出来上がった。
■ 本当に変えるべきなのは、「人」ではなく「評価軸」である
ここで重要なのは、よくある間違いをもう一度はっきりさせることだ。
❌ 日本には、起業家精神が足りない
❌ 日本人は、リスクを取らない
❌ 経営人材が不足している
これは**すべて結果論にすぎない。**本当に欠けているのは、
✅「挑戦した人が、構造的に報われる評価軸」✅「燃やした人が、次に進める評価軸」✅**「買った側が、正当に評価される評価軸」**つまり、KPIそのものである。
■ 日本を動かす最低限の「共通KPI」は、すでに“ズレた形”で導入されてしまっている
まず事実として、日本の大学はすでに**「起業した数」**をKPIにしている。
そして、その結果が何を生んだか。
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大学発スタートアップ:5000社
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存続率:9割
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だが
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上場しない
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買われない
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ほとんど稼げない
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という、「**増えただけで回らない市場」**である。
これは、
✅ KPIは“達成された”
❌ しかし市場は“成長していない”
という、典型的なKPI設計の失敗例だ。
■ 大企業も「買った数」をKPIにし始めているが、本当の問題はその次だ
同様に、大企業の中にはすでに
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M&A件数
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出資件数
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CVC投資数
をKPIにしているところもある。
だが、ここでも問題ははっきりしている。**「買った数は増えた。
しかし、買ったあとに“伸びたかどうか”は、ほぼ誰も見ていない。」**つまり今のKPIはこうなっている。
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❌ 買ったかどうか → 評価される
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❌ 起業させたかどうか → 評価される
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✅買収によって“どれだけ市場が伸びたか” → ほとんど評価されないここが、日本のエコシステムが“途中で止まる”最大の原因だ。
■ 本当にそろえるべきKPIは「行動」ではなく「成長」である
本当にそろえるべきKPIは、もう明確だ。
-大学→ 「何社起業したか」ではなく
→ ✅**「そのうち何社が“買われ”、何社が“市場を拡大したか”」**-**大企業**→ 「何社買ったか」ではなく
→ ✅**「買収後、何倍に伸ばしたか」「市場を何倍にしたか」**-**VC・投資家**→ 「何社投資したか」ではなく
→ ✅**「バイアウトとスケールを何件作ったか」**-**政府・政策**→ 「何社支援したか」ではなく
→ ✅**「その産業全体の市場規模が10年で何倍になったか」**つまり、日本に必要なのは**「起業した数」「買った数」ではなく、
「市場がどれだけ拡大したか」だけを評価するKPI**ただそれだけでいい。
■ そして何より重要なのは、「天才をどこに置くか」だ
最後に、いちばん本質的な話をしなければならない。
いま日本で起きている最大の損失は、これだ。**天才を、研究所の中で“世界を作らせる”代わりに、
会議資料と報告書と稟議書を書かせている。これは、経済合理性から見て完全な自殺行為**である。
はっきり言ってしまえば、こうだ。
-研究所で天才に書類を書かせるな。-KPI管理の下に天才を閉じ込めるな。-評価軸の内側で天才を飼うな。-**彼らには、自由に世界を作らせろ。**彼らの役目は、
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既存事業を少し良くすることではない
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前例をなぞることでもない
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報告資料を整えることでもない**「世界にまだ存在しない市場を、勝手に作ってくること」
ただそれだけだ。**---
■ 「買う社会」とは、「天才を自由に放つ社会」でもある
大企業が外から技術と市場を“買う社会”とは、言い換えれば――**「天才が、組織に飼われず、
失敗を繰り返しながら、世界を作ることを許される社会」**でもある。
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ダメなら畳む
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次へ行く
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また挑戦する
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最後に1つだけが、世界を変える
その1回のために、99回の失敗と、99人の消耗を“前提として許す社会”。
それが「買う社会」の本質だ。
■ 最終結論**日本に足りないのは、資金でも、技術でも、起業家精神でもない。
天才を“自由に世界を作る場所”へ解き放ち、
その成果を“本気で買い、本気で伸ばす側”が存在するという、
ただ一つの構造である。****研究所で天才に書類を書かせるな。
彼らには、世界を作らせろ。
買う側は、責任をもって、それを何倍にも伸ばせ。**それができた瞬間、この国は――また一気に、取り返しのつかない速度で、前に進み始める。### 追記
この記事を読んだ大企業とスタートアップの両方を経験している知り合いから感想が寄せられました。参考になると思ったので、掲載します。
「大企業側に、ベンチャーが作ったシステムを正しく評価できる人がいないので、新機能をまともに使いこなせないという問題があります。全く新しい機能であればあるほど、従来のシステムと連動して動くかどうかのすり合わせはかなり難しくなります。うまく動かなかった場合、当然新しい機能のシステムが悪いという話になります。免疫反応みたいなものですね。
大手N社にいた時、米国のベンチャー(社長と副社長だけの会社:夫婦)が作った変額保険(保険料を株などに投資してそれをそのまま価格に反映させる保険)のシステムを買ったことがあります。日本で◯◯省の認可を取った内容に修正して既存システムに移植するプロジェクトが作られ、その夫婦と私がプロジェクトメンバーになりました。要は全社員が米国から日本にやってきたということです。他のN社のメンバーもいたと思いますが、見てるだけだったと思います。中身がわかってるのは私だけだったので。しかし、3人で作ったプログラム自体は問題なかった(後で1箇所バグがあったが、私が素手で直しました。コボルのプログラムを書いたのはこの時だけ。)のですが、想定より100倍売れたので負荷がかかりすぎて、オンラインを発売後15分で止めてしまいましたが、1週間ぐらいで動くようになりました(毎日稼働時間がちょっとずつ伸びていって、社内放送で知らせるものですから、面白かったです。)
今の大企業で、こんなことは絶対できないと断言できます。15分でオンラインを止めるなど始末書では済まないかもしれません。下手すると〇〇庁に処分されるでしょう。
当時の〇〇省はシステムがわかる人は一人もいなかったし、オンラインが止まっても報告しないでもよかったのです。当時の〇〇省なら、「想定より100倍売れたので、システムがパンクしてしまいました。」と報告したら「そうか、よかったですね。」で済んだと思います。
今の大企業が最初に聞くのは他社での導入実績で、決して一番目にはならない。まして会社ごと買い取るなど、文化大革命でもない限りあり得ないでしょう。P社が日本でやってるのもPOCを有料で行うことの紹介です。下手をするとSIERの下請けにしたり、よくて委託開発の口利きです。下請けにしたらうまくいかなかった時のリスクはSIERがとりますから、安全なわけです。」