日本の大手VCに多い投資スタイルがある。
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すでに事業が見えている
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上場しやすく、説明しやすい
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2〜3倍を確実に狙える
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失敗しても株の買い取り条項でリスクはほぼゼロ
合理的で、効率的で、コスパがいい。
だが、もし人生をこの発想で設計し始めたら、それはかなり危険だ。
リスクを取らない人生は「関係」を失う
この投資スタイルを人生に当てはめると、こうなる。
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見返りが想定できる人にだけ時間を使う
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成功しそうな人にだけ手を差し伸べる
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ダウンサイドがある関係には関わらない
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感情や直感より、合理性と効率を優先する
一見、賢い生き方に見える。
だがこの生き方は、人間関係をすべて取引に変えてしまう。
結果として残るのは、
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利害が一致する間だけ続く関係
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役に立たなくなった瞬間に切れる縁
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困っている人に手を出せない自分
そして何より、「見返りがない関係」を築く能力そのものが失われる。
米国型VCは、なぜGoogleに小切手を切れたのか
米国のトップVCは、最初から違う前提で動いている。
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100社投資して97社が失敗しても想定内
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大半は回収できない
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それでも笑っていられる
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理由は、当たった数社がすべてを回収するから
重要なのは、投資時点で「確実な見返り」を求めていないという点だ。
Googleに最初に小切手を切ったとき、
今の姿を正確に説明できた投資家はいない。
「よくわからないけど、直感的におもしろい」
それだけで張っている。
人間関係も、同じでいい
人生、とくに人間関係も同じだと思っている。
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役に立つかどうか
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将来リターンがあるか
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自分に得かどうか
そういう計算を一度脇に置く。
それよりも、
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直感的におもしろい
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なんか気になる
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理由は説明できないけど惹かれる
そういう人に、時間やエネルギーを使う。
返ってこなくてもいい。
損してもいい。
失敗してもいい。最初から回収する気がない投資を、あえてする。
与えたものが返ってこなくていい、という前提
多くの人が人間関係で疲れるのは、
「どこかで返ってくるはず」という期待を無意識に置いているからだ。
だが、最初からこう決めておけばいい。
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自分が与えたものは返ってこなくていい
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失敗しても、関係が終わっても、それでいい
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これは投資ではなく、実験だ
そうやって100人と関われば、
97人とは何も起きないか、途中で途切れる。
でも、それでいい。
2〜3人でいい。それで全部回収できる
不思議なことに、
そういう雑で、非効率で、非合理な関わり方をしていると、
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数人とは、異常に深い関係が残る
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利害を超えた信頼が生まれる
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長期で何度も助け合う関係になる
それは、
2〜3倍どころではないリターンを持つ。
人生の困難な局面で効いてくるのは、
名刺の数でも、フォロワー数でもない。損得抜きで関わった人が、数人いるかどうかだ。
コスパ最適化をやめたところから、人生は豊かになる
人生を、
日本の大手VCのように「安全に、効率よく、説明可能に」設計すると、
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失敗は減る
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でも、飛躍も消える
一方で、
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わけのわからない人に時間を使い
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見返りを求めずに与え
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失敗を前提に関係を築く
そういう生き方は、遠回りで、不器用で、非効率だ。
だが、深い関係と大きな意味は、必ずそこからしか生まれない。
人生は、
リスクをゼロにするゲームではない。
97回失敗してもニコニコできる前提で、
3回の「当たり」を引きにいくゲームだ。