Invent or Die 18 - 中島聡 × 夏野剛×礒津政明

司会:大変お待たせいたしました。さっそく、本日の主役のお三方をお招きしたいと思います。一般社団法人、シンギュラリティソサエティ代表理事の中島聡さん。共同発起人の夏野剛さん。そして、本日のゲスト株式会社ソニー・グローバルエデュケーション会長、教育フューチャリストの礒津政明さんです。こんばんは。

一同:こんばんは。

司会:よろしくお願いします。

一同:よろしくお願いします。

司会:中島さんと夏野さんとの対談は、前回が4月4日ということで、約2ヶ月半ぶりですが、近況や気になることありましたら、教えていただけますか。夏野さん、いかがですか?

夏野氏:前回に引き続きなんですが、21世紀のこんな時に、ウクライナでああいうことが起こる。これはショックです。僕も衝撃からまだ立ち直っていなくて。21世紀にもなって武力による国境変更みたいなことを平気で、しかも、常任理事国のロシアがやってしまうという。しかも、それに対して世界中が何もできない。事実上何もできてないということについて、21世紀、この2022年を契機に、20世紀に逆戻りしてしまった感覚があって。この後遺症は、恐らく最低30年、長ければ70年ぐらい。つまり、22世紀になるまで引きずってしまうようなことが今起こっていると感じていて、けっこう衝撃を受けています。

司会:ありがとうございます。学校現場からも、平和教育を何とか進めていきたいというお話をたくさん頂くので、そういうところも今日、少しお話しできれば現場としてはとても嬉しいと思っています。

夏野氏:まさにそうで、特に日本の子供たちにとって、こんなにいい教材はないです。というのは、ウクライナの人には本当に申し訳ないのですが、日本に差し迫った危機、危険がない中で、これだけの情報が現地から出てきて、感情とか、思いとか、情報を共有できるという機会を教育にどれだけ生かせるかというのはものすごく大事なことだと、僕は思っています。

司会:そうですね。この出来事をウェブリテラシー・メディアリテラシーだけじゃなくて、様々な子どもたちの今後の大きな教材にしていかないと、いけないものだと私も思っています。

夏野氏:正直言ってしまうと、今、「ここから先は危険な刺激的な映像が出ます」とか、あるいは、全ての視界にはモザイクをかけているというのも、本当にいいのかどうかというのは、今日、ぜひ皆さんと議論したいと思います。

司会:分かりました。ありがとうございます。中島さんはいかがですか?

中島氏:僕個人にとってここ2、3ヶ月は、けっこう大きかった。というのは、10年とは言わないまでも、6、7年のサイクルで、この技術は面白いから自分で思い切り時間をかけてみよう、みたいなものが現れて、それに一生懸命になるんです。エンジニアのキャリアとして。それが久しぶりに起こった感じです。
 それがWeb3なのですが。暗号通貨で起こっていることはよく知っていて、僕は割としょうもないと思っていたんです。マネーゲームだから。ということで割と冷たい目で見ていたのですが、最近面白いと思ったのは、DAOという仕組みです。それがすごいのか、すごくないのか、外にいると分からないわけです。なので、一度中に入ってみようと思って、Nouns DAOというDAOの中ではもっともDAOらしいDAOの中に入って経験したんです。いろいろいい学びはあったのですが、そんな中で技術の勉強をしないとちゃんと分からないので、DAOを動かしているスマートコントラクト、NounsDAOはNounsDAOで自分たちのスマートコントラクトのアプリケーションを持っているので、それを読むための勉強を始めて。そしたら、はまってしまって。Web3の世界では、よく不思議の国のアリスに例えて、「ウサギの穴にはまる」と言うのですが、まさにそんな感じで。今、毎日のようにスマートコントラクトを書く人生に変わってしまいました。
 そんな中で、一つ立ち上げたのが、今私のバックグラウンドに表示しているNounsArtFestival(ナウンズ・アート・フェスティバル)っていう映画祭です。

昔からオンライン映画祭をやりたかったのです。それに向けての賞金を集めるために、NFTを出してやるということを言ったら、日本円で600万ぐらい集まりました。そういうちょっと今までと違う映画祭もやっています。
 一つ気が付いたのは、スマートコントラクトを使ってアプリケーションを世の中に出すという行動は、サーバーがいらないんです。なので、ものすごく今までと違うスケールでビジネスができる。特に、個人レベルの人がすごく出せるんです。ちゃんと説明すると長くなりますが、例えば、普通にサーバーを立てると、そのサーバーってAmazonで立てるなら、Amazonにお金を払い続けない限りサーバーが止まってしまいます。比べると、ブロックチェーン上に出したスマートコントラクトというのは、別にサーバー費用がいらないので、勝手に走り続けてくれるんです。勝手に走り続けるということは、そこに月額課金がいらないということで、誰でもいい仕事さえできれば、その人の仕事がブロックチェーンに残って、動き続けることができるので、これはとんでもない革命だと思いました。じゃあまずは、自分でいろいろなものを残そうという感じで、いろんなプロジェクトをスタートしています。
 僕としては、会社を作ることをしなくても、ビジネスが立ち上げられる。つまり世の中に価値が提供できる時代になったので、そういう生き方や仕事の仕方ができるようになったことを、もっといろんな人に知ってほしいです。

司会:ありがとうございます。私もキャリア教育の授業をすることも多いのですが、いまだに中学生の子たちが、「いい高校に行き、いい大学に入り、大手のホワイト企業に入りたいです。どうすればいいですか?」と言います。中島さんのおっしゃる通り、いろんな人たちが会社を通さずにチームを作って、プロジェクトを進めていくという働き方って、まだまだ日本社会には浸透していない。子どもたちも、そういう未来があるということを知らないまま大学まで行ってしまうのではないかという危機感があるので、教育的な観点から見ても、ぜひそれを広げていきたいと思いました。
 ショートムービー、私も拝見させていただきまして、P&Gさんの、子どもをお母さんがずっと小さい時から見守っているというのは、私も今、小学校3年生と5年生の子どもがいるので、本当にすごく泣きそうになりました。ああいう感動や愛で、心の中に、言葉にはできないけれども、何か湧き上がってくるもの、それを誰かにシェアしたいとか、自分も何か行動したいというようなところに移り、半径5メートルでも変えていけると、すごく世界は良くなるんじゃないかと思いました。
 このコンテストは、中島さんが審査をされるのですか?

中島氏:そうです。私も審査しますし、寄付をしてもらう形でNFTを発行したので、それを持っている人たちに投票してもらいます。

はプログラミング的思考や、アクティブラーニング、探求型学習とかPBL(プロジェクト型授業)、海外進学など、最近の教育系のトピックも入っていて、我々が考える学びの将来像について、できるだけリアルに紹介したものになっています。ちょうど今Amazonで予約受付中(※現在販売中)ですので、ぜひこの機会にご予約いただけると嬉しいです。

司会:ありがとうございます。私も冒頭の漫画から拝見させていただきましたが、学校現場でWeb3やメタバース等、これだけのキーワードを、あと18年の間に入れて、教育の未来を変えていくにはどんな方法があるのか、私自身とても興味があるので、いろいろ教えていただけたらと思います。

司会:では、今回テーマがWeb3.0時代の教育ということで、まずは中島さん。最近Web3.0やWeb3というキーワードをよく聞きますが、今までのWebと何が違うのでしょうか?

中島氏:いろいろ面白い言い方があるのですが、僕から見ると一つの大きなイノベーションは、まずオープンなデータベース。要は、データを貯めておく部分ができましたと。誰でもパブリックにアクセスできる。かつ、そこにオープンなプログラムが走っています。これが今までと全然違って、スマートコントラクトというのは、例えばブロックチェーンのイーサリアムの場合だと、イーサリアムという巨大なマシンが世界中にまたがって走っているイメージです。それは、バーチャルマシンでたった1台なんです。その1台の巨大なコンピューターに向かって、皆でスマートコントラクトというプログラムをデプロイ(プログラムを配置・展開すること)することができて、それが勝手に走り続けてくれるんです。それが人類にとって何を意味しているのか?というくらいすごい話で、スマートコントラクト一つ一つが勝手に仕事をするし、APIは自由に公開できるし、それからお互いに呼び合えるんです。

それは、コンポーザビリティと呼ばれていて、例えばWeb2だとオープンソースという発想があるじゃないですか。オープンソースというのは、いろんな人が書いたプログラムをダウンロードしてきて、自分のところでかき集めて、オープンソースのソフトウェアを組み合わせて外に出す、デプロイするというやり方で使っていたのですが、Web3の時代になると、オープンソースのようにダウンロードして使うのではなく、ブロックチェーン上にあるスマートコントラクトを、直接APIを叩くという形の、オープンソースの1個先のオープンAPIみたいなものが今起こりつつあります。

例えば、私が今日デプロイしたスマートコントラクトを、10年後、20年後の人が自由に使えます。それも永続的に。今までだと、例えば誰かがサービスを立ち上げてAPIを公開しても、その会社が潰れてしまったらそのAPIは(引き継ぐ人がいなければ)利用できなくなります。よくGoogleは、新しいサービスを提供しました、新しいAPIを提供しましたと言うけど、人が集まらないと5年ぐらいでサービスを止めてしまいます。そうすると、GoogleのAPIに依存してたアプリが全部動かなくなるということがすぐに起こるのです。

しかし、スマートコントラクトだとそれが永続的なので、一度世の中に出たスマートコントラクトは動き続けるんです。まだ言葉がないのですが、オープンソースの1歩先の、オープンサービスの時代になりつつあるという、ものすごいことが起こっています。

中島氏:教育はそういう考えでいくと、ウェブと比べると、まだ3世代ぐらい後だと思いますが、もっといろんなものがオープンでなくてはいけない。

例えば教科書は、オープンソースでやらないのがおかしいのです。皆で共同して勉強するんだし、だいたい今は税金を使って教科書を作っているわけじゃないですか。それをオープンソースにしないのはおかしい。オープンソースにしてGitHub(Microsoftが買収したソースコードなどを管理するシステム。ソースコードだけでなく文書なども管理できる)を使えば皆で自由にアクセスできるし、「変更したい」と言ったら、プルリクエストと呼ばれる変更リクエストを出して、そのリクエストに対し皆で相談して、「この変更は良いから取り組もう」とか、「これは取り組まないようにしよう」という議論もできて、皆で毎年少しずつ良くしていくこともできるし、無料でできる。それから電子なので重い教科書を持つ必要もない。教科書をオープンソースにするだけで、教育はガラっと変わるのです。

その次に、今度は教室。礒津さんの本にもありましたが、僕は反転教室の大ファンで、教師が講義式の授業をやるというのは明らかにムダ。N高でもやられていると思いますが、要はトップクラスの先生が、プロの編集者を雇って作った授業を無料で公開すればいいのです。それもオープンになるべきだし、そこはいくら税金をつぎ込んでも構わないと思います。

だから、例えば、数Ⅰ、数Ⅱ・Bの微分積分のクラスというのを、10クラス分を国が本気で作ったら、ものすごくいい講義ができるじゃないですか。その10本を無料で提供するんです。それを子どもたちは見る。別にそれは家で見てもいいし、先生と一緒に見てもいい。そこに演習問題みたいなのが付いていて、演習問題だけを先生の目の前で解いて、詰まったら先生が教えてくれるという、そういうふうにすべきで。礒津さんの本の内容はものすごくいいと思いましたが、オープン教科書、オープン講義の部分もぜひ語ってほしいと思いました。
 そのプラスアルファとして、個別指導などは学校が担当すればいいわけです。

司会:礒津さん、いかがですか?

礒津氏:おっしゃる通りで、教科書がまずオープンになってないという、日本のかなり大きな問題があります。教科書会社同士がそれなりに競い合って、いろんな教科書を作っているという、非常に非効率なことをやっている。そしてどの会社の教科書を採用するかでまた先生が議論を重ねて、自治体によってどれかを採用するというプロセスもあったりして。かつ、検定を通過した教科書じゃないと使えないとか、非常にお役所的な仕事が何段階も重なっていて、ようやく紙の教科書が配られているという状況です。

最近は、紙の教科書だけではなくて、タブレットにもなってきているので、一部タブレットでのデジタル教科書もあれば、紙の教科書もあって2重の手間になっていて、子どもたちは毎日ランドセルの中に教科書とタブレットを一緒に入れて持っていかなければいけないという、非常に大変な。昔よりもランドセルが重くなっているという、馬鹿馬鹿しいことが起こっているので、このあたりは根本的に変えていかないといけないことだと思いますし、そういったウェブのカルチャーやオープンデータ、オープンソースの考え方を、もっと日本の教育として取り入れるべきだと思っています。

司会:ありがとうございます。これについては、夏野さんどう思われますか?

夏野氏:僕、Web3.0の話って、すごく教育的に面白いと思っていて。どういうことかというと、今まで20世紀の教育というのは、「長く生きている人は必ず知識量が多い。それから、過去の経験に基づいた知識は必ず正しい。そういうことを知らない人が発信する資格はない」という、こういう社会だったと思うのですが、少なくともウェブが出てきて若干変わったのは、押し付けられた情報だけではなということがWeb1.0で分かったと思うのです。自分で自ら調べようと思えば、いろんなことが調べられる。

Web2.0になって何が変わったかというと、それを発信しようと思えばどんどん発信できて、世の中別に専門家って言われる人ではない人の意見にも、たくさん触れられるようになり、いろんな人が、さまざまなことを感じているという、世の中の実態を、皆がすぐに感じられるようになったことで、学校教育の中で一方通行で教えられることだけじゃないんだ、ということが分かった。

Web3.0になると、いわゆる学校教育とか、あるいは大手の新聞社がサイトで流している情報とはまったく関係ないところで価値が生まれ、実はそれが真実だったりすることがある。

今回のウクライナ紛争でもすごく思ったのですけが、一般の市民が上げる情報というのは、もちろん、今東部戦線でどういう状況になっているかというのは情報統制しているわけですが、それでも権力とか、あるいは強いものの情報統制がますますできなくなってきたことを証明していて。戦時は情報コントロールがありますが、戦時じゃない時は当たり前になってきたわけです。少なくとも、いわゆる西側、日本をはじめとする西側の諸国は、この情報統制というのを全然していない。いろんな情報に触れ合う中で、何が正しいのかを皆できちんと理解しようとする、あるいは理解しなくても、自分が正しいと思っていることを盲目的に信じる人もいて。それで僕は情報の世界というのはいいと思うんです。つまり、画一的な情報が、単に画一的に流れてくる世界で生きているのと、これだけ陰謀説から、わけが分からない話からいろいろある。これがリアリティだと思うんです。

僕は教育の現場では、ぜひこのWeb3.0の時代にこの情報を使って様々な議論をしてほしいと思っています。こういうことを積み重ねることが大切で、何が正しいかを断定する必要はないんです。ただ、皆で議論することで、自分が正しいと思っていた情報はちょっとおかしいかもしれないとか、そういうことを感じることが、情報に対する感度をすごく上げる。
 教育の役割って何かと考えたとき、入ってきた情報をどう自分の中で咀嚼するかというのが、特に現代における教育の一番大事なところだと思う。Web3.0の時代の、権力とか権威とかいうものがあまり集中していない世界の中でこそ、できる教育というのがたくさんあるんじゃないかと考え、僕は、今の状態を非常にいい状態だと思って肯定しています。

先生だけではなくて地域のボランティアがあったり、専門家がどんどん学校に入ってきて、子どもたちと触れ合いながらいろんな知識を与えて、ディスカッションするという流れにあるので、日本の中でももっとネットを使って、それこそウクライナの人に教えてもらう授業とか、他の国の人に教えてもらう授業があっていいと思うんです。そういう多様性をどんどん学校の中に入れていくことで、考え方にも多様性が生まれて、正解が一つではないディスカッションに発展するのではないかと考えています。

司会:そうすると、先生の価値とは何か、というところが変わってくると思うんです。先生が自分たちの今までの価値を捨てて新しいところに飛び込んでいけるか、学び直せるかというところもけっこう大きなテーマだと思っているのですが、どう思われますか?

礒津氏:これは先に中島さんが言われたように、教えることに集中する先生はもっと少なくていいと思うのです。教える先生というのは、本当に全国で何人かいれば良くて、その人たちが理想的な授業をN高のようにちゃんと動画で配信して、それをしっかり見て学んでもらって。そして教室にいる先生がファシリテーターとなって生徒を元気づけたり、やる気がでるようにサポートする。生徒の伴走者としてモチベーションを上げるところに役割をどんどんシフトさせて先生の負荷を減らしていかないと、なかなか今の学校教育は改善しないのではないかと考えています。

司会:ありがとうございます。今お二人がおっしゃったように、いい授業ができる先生たちを増やしていって、他の先生は教えるのではなく、子どもたちに寄り添って、進捗に合わせて、いいタイミングでヒントを与えていく。そのような先生たちが増えると、中島さんの考えられている教育みたいなのも、実現できると思われますか?

礒津氏:それ、実は中国は何年も前からすでにやっているんです。各省ですごく優秀な先生を集めて、その先生たちが授業をしっかりやって、それを配信して、教室にいる先生は、その映像授業を一緒に見ながら、子どもによりきめ細かく、指導をすることがけっこうできていて。中国って大きい国ですけれども、国単位で、そういったスタートアップ企業のようにPDCAサイクルをどんどん回して教育を改善していくという、そういったカルチャーというか、雰囲気があります。なので、日本も絶対できるはずなのですが、なかなかそういう方向に行かないことがとても残念だと思っています。

司会:ありがとうございます。~

司会:あらためて、一番初めに夏野さんのお話しされていた、今の平和教育、メディアリテラシーのあり方のところで皆さんとお話しされたいとおっしゃっていた、テレビから今からこういう映像を流しますというのだったり、モザイクをかけるというところについてお話をしていきたいと思うのですが、そこについてもう一度、夏野さんのお考えをお聞かせいただけますか?

夏野氏:隠した方がいいのか、隠すことに何のメリットがあるのかが議論されることなく、「不快に思うのなら隠しましょう」というのは、本当に教育上その方がいいのかということを我々は考え直すべきだと思います。

例えば、私には中学生と高校生の子どもがいますが、中学生や高校生がテレビでウクライナのブチャのシーンを見たときに、そこに死体がゴロゴロ転がっていて、それがリアルな死体であるということに対して、どういう感情を抱くかということにしても、それでもちろん、すごく衝撃を受ける方もいらっしゃるでしょう。
ただ、うちの場合、たまたまなのですが、昨年の末に僕の父が亡くなって、死体というものをうちの子どもたちはリアルに見ているわけです。見たときに二人がどういうふうに感じたかというと、必ずしもそれは見てはいけないものを見たというふうには思っていなくて、じいじがなくなったんだという現実を受け入れているわけです。

今回、テレビや映像を通じて、本当に死体がそれだけ並んでいるというのを見たときに、モザイクをかけていても容易に想像はつくわけです。想像がつく映像をみた時に、自分以上に辛い、悲しみを得た人が何倍もいるんだということを気付く方がいいのか、あえて隠して、何が落ちているのか、何が倒れているのか分からないような情報にした方がいいのかという時、教育的に見ると、必ずしもモザイクをかける必要はないのではないかと僕は思います。

司会:ありがとうございます。これについて、中島さんはどう思われますか?

中島氏:困ったな。それと教育をどう結びつけるかは、ちょっと悩んでいるのですが。

夏野氏:補足すると、もちろん世の中に出たとき、いろんな知識を得ていくことってすごく大事なことだと思うんですが、それと同時に、人間は未成熟の段階で生まれてくるので、世の中の現実ってこうなんだということに徐々に慣らしていくこともすごく大事で。
徐々に慣らすということでいうと、例えば、ニュース番組を見ている人がどういう属性かというと、小学校低学年の子はニュース番組をあまり見ないわけで。そうすると、もちろん例外の方がいらっしゃるかもしれませんが、小学校高学年から中学、高校、そして大人。おもに大学生や大人が見ているのだとすると、別にリアルなものをリアルに流してもいいんじゃないか。もちろん、過度に残虐なことを見せる必要はありませんが、遠景の中で死体が映っているのを、モザイクにする必要はないんじゃないかと、ちょっと思うわけです。

中島氏:今、ギャップがあるじゃないですか。個人がインスタとかで勝手にリアルタイムで流すニュースと、編集されたニュースに。

夏野氏:それそれ。そこでは映っているわけです。

中島氏:すごく差がありますよね。片方はきっちり編集されているからこそいい部分もあるけど、汚いものが隠されていたりする。逆に個人が流すものは、本当にリアルなもの、隠していないものもあるけど、逆にウソのものもあるという。そのギャップが面白いですよね。

でも、僕はなぜもっとメディアがリアルタイム性にこだわった配信をしないのかが不思議で、NHKニュースは、7時と9時ですよね。でも、1日中ニュースは生まれているわけで。ニュースというのはリアルタイムで見てこそ価値があるので、僕がニュース番組の担当だったらプッシュ配信で送ります。要は、何か事件があったら、スマホに向かって映像をプッシュする感じで。リアルタイムでニュースを見てもらう。最低限の編集はするかもしれないけど、もう少し生の情報をリアルで届けて、7時とか9時という時間は、それを解説するみたいな感じにした方がいいんじゃないかと思っています。

司会:誰もが発信できる時代になって、大きなメディアはどう役割を果たしていくのか、どう差別化していくのかというところは、教育的な視点で見ると、やっぱりSNSと情報モラルの授業は、とても学校からのニーズがあります。どちらかというと、「危険だから触るな」というふうに言ってくださいと言われる。本当にそれで社会に出てちゃんと情報を咀嚼できるようになるかというと…。適切に情報に触れることは大切だと思いますし、生の情報をきちんといろんな大人がいろんな側面から分析しているニュースを見る方が、多角的な視点で見られるのではないかと、個人的には思っています。
礒津さんは、「メディアと教育」といった点について、どのようににお考えですか?

礒津氏:メディアリテラシーのところは大事だと思っていまして。もちろん、夏野さんが言われたように、基本的には私もできるだけオープンにするべきだと思うのですが、メディアリテラシーやインターネットリテラシーが未熟な、小さい子がいきなりそういった映像とかを見ることにはやはり懸念があります。ですからある程度基礎的な、メディアとはこういうものだ、ネットとはこういうものだという、基本的なことが分かってから徐々に慣らしていくような形が必要ではないかと思っています。

報道とかでリアルに死体が出てきたときに、FPS( First-person shooter)とかで人をゲーム中にバカバカ殺している子どもであっても、リアルにそれが起こっていることが報じられたときに受けるショックというのは、全然違うと思うので。よく過激なゲームは止めさせた方がいいみたいな議論があると思いますが、フィクションとノンフィクションという世界は、子どもながらに切り分けていると思います。

司会:なるほど。母親としては悪影響ではないかと思ってしまう部分もあるのですが、子どもは、ちゃんと切り替えているということですね。礒津さんは、何かお考えありますか?

礒津氏:小さい子がゲームをやること自体は全然否定しませんが、年齢が下であれば下であるほど、現実とバーチャルの区別がつかないと言われていますね。ですから例えば、幼稚園児が殺し合いのゲームをやってしまったりすると、まだ理解が追いついていなくて不具合があるのかなという気がすごくしています。

私も本の中で書いたのですが、例えば、サンタクロースのことを本当に信じているか信じてないかというのが、一つの境目だと思っていて。サンタクロースをまだ信じているようだと、現実とバーチャルの区別がついていないので、あまりそういうものに触れさせない方がいい。「サンタなんていない」ということが分かるようになってくると、現実的とバーチャルが区別できるという目安になるので、そうなった時にバーチャルの世界にちゃんと触れさせてあげて、その世界で活動する機会を、与えるのがいいのではないかと思っています。

基本的に今のゲーム自体は、最近本当によくできたものが多くて、オープンワールド型のゲームなどは本当に教育効果が高いものがありますから、積極的にやっていいと思いますけれども、ただ、年齢の制限はある程度設けた方がいいと思ってます。~

司会:ありがとうございます。母親として、とてもヒントになりました。
少し話を変えまして、インターネット、ウェブを使った公教育についてご相談をしたいと思います。N高のように、ここまで突出した尖った教育ができると本当に理想的だと思います。一方、公教育の現場ではSNSは禁止、メディアも禁止と言われる。保護者たちが学校に「なんでこんなものを見せるんだ」と言うのを聞くと、何も動けなくなるというのが今の学校教育の現実なのかなと思っています。先生は、SNSやインターネットも担当し、とても負担が大きくなっていると思います。そこで先生たちを育てつつ、負担も減らすということが大切だと思うのですが、中島さんは、今後日本から優秀なエンジニアやイノベーティブな人材を育てていくかという中で、どんな人たちが教師役、または学校の中に大人として入ると、公教育が変わっていくと思われますか? 理数系やエンジニアの内容はとても難しくて、なかなかエッジが立った授業がしづらいのですが、どうすればエンジニアを目指したりとか、面白いと思ったりとか、スキルを身に付けたいと思う子たちが育つような環境が作れると考えますか?

中島氏:けっこう難しい質問ですよね。まず残念なことに、エンジニアで本当に優秀な人って、教育現場に入らない。外で稼げるから。あと、教えるというのはそれなりにテクニックが必要です。エンジニアリングと教えるスキルの両方を持っている人は本当にわずかしかいなくて、それを求めるのは難しいと思うんです。
でも、僕もそうでしたが、プログラミングの基本は本とかで勉強したものの、本当の勉強は人のソースコードを読むことだったんです。僕はMicrosoftに入ったときにWindowsのソースコードが本当に勉強になりました。それはもう毎日のように読んで、感動していました。実は、それは今インターネット上でできるんです。素晴らしいソースコードがオープンになっているので、それを見るだけでとんでもなく勉強になる。特にテクノロジーに関しての素材はあふれているので、あとは子どもたちのモチベーションだけじゃないですかね。どうやってモチベーションを上げるかという。例えばソースコードだったり、教科書だったり、いろんな教育ビデオだったり、どんどんオープンになるべきだと思います。そこで先生は、子どもたちを励ましたり、いろんな機会を与えたり。学ぶ楽しみや学び方を伝えるといった方向に行った方がいいと思うんです。

司会:ソースコードが世の中にたくさんあって、それが教科書になるということを、先生たちがまずは知る必要があると思うのですが、先生たちがそれを知りに行きたいというモチベーションは、どうやったら上げていけますか?

中島氏:特に日本では、文系理系という分け方がすごくはっきりしていて、先生って文系出身の人が多いと思うし、いろいろ無理がありますよね。今思い出したんですが、小学校4~6年のときの担任の先生が完全に文系の人で、その人が理科とか算数を教えていたわけです。僕、子どもながらにその先生が間違っていることに何度も気が付いて、生意気にも噛みついていたんですが、あれ、考えてみたらかわいそうなことをしていましたね。
電池の並列と直列が分かっていない先生で、つなげたら電池が焼け焦げるような回路図を出して、「これで電球がつきます」と言ったので、僕噛みついて、「実際にやってみましょう」と言って、僕が勝ったという事件があったのですが(笑い)。それこそ文系の先生が理科を教えているという「講義そのものは得意な人がすればいい」というのと正反対のことが起きていて、とてももったいないと思います。
だから、ソースコードがどこにあるかとか、文系の先生には全然興味が持てなくても、理系の先生がもう少し増えて、その人たちが身を持って「こんな勉強の仕方があるんだ」と分かれば、人に教えられますよね。だから、それは先生自らやらないといけないと思います。人数の問題もあるかもしれませんが。

司会:小学校は全教科をひとりの先生が教えるので、とても大変という中で、どう興味を持たせるかというのはやはりハードルが高いなということと、日本の先生は完璧でないといけないというように思われがちで、知らないから誰か教えてと、もう少し先生と生徒が教え合えるような関係になれば、先生も楽になるし、生徒たちが「エンジニアリングとかプログラミングについては僕が先生やります」という日が来てもいいと思っています。そういう未来も、礒津さんのご著書には入っていますか?

礒津氏:はい。最近の教育界では「リバースメンタリング」といって、若者が先生として大人に教えるという考え方が出てきていて。実際にゲームのやり方などは若者の方が圧倒的に詳しいですし、アニメや最近のトレンドなども当然子どもの方が詳しかったりするので、そういう人が大人に教えるというような流れで社会全体が教育されていくという流れは、今後あるべきだと思っています。

モートで働くエンジニアたちが住みたくなるような環境。ネット環境が良くて、マンション形式で、景色は良くて、スポーツジムがあって、展望フロアには温泉が出ているようなところなら皆喜んで住むので、そこにリモートで働くエンジニアを育てる。
今は、企業を誘致する必要ないんです。リモートで働くエンジニアを誘致して、学園都市を作って、そこでエンジニアたちにボランティアで働いてもらうといった形であれば、けっこう面白い学校ができるのではないかと思います。

司会:今、徳島の神山町が「神山まるごと高専」という、高専を作ろうとしていますが、そこにはすでにリモートオフィスもあるし、Sansanなどエンジニアリングの事務所もあります。そこでは、デザインも起業も教えるというので、私もワクワクしています。そういう高専の仕組みをうまく活用していくことが、これからの教育でとても重要だということ、そして高専を勧める先生たちがもっと増えてほしいというのも、学校の現場にいて思います。どうしても理科が得意な子、算数が得意な子しか行かないようなイメージがまだあるので。

中島氏:あと、大学に入って一流企業に入るという昭和の時代の価値観が、まだ日本には残っていますからね。

司会:その昭和の時代の価値観というものは、いったいどうすれば壊せるのかということについて夏野さんにお聞きしたいのですが。

夏野氏:それ、壊す必要なくて。その価値観で生きていたら失敗しちゃった、でいいんじゃないですか? なぜ全員を救おうとするのかが分からない。

司会:なるほど。

夏野氏:全員を救うのはダメなんです。下に合わせていてはいけない。適応できる人だけが成功するということでいいんじゃないですか? ただし、社会でセーフティーネットをきちんと作っておいて、うまくいかなかった人がやり直せる環境を、きちんと作っておくことが前提ですが。

司会:公教育には、全員誰も取り残さないというセーフティーネットの役割もあるので。

夏野氏:いえ、公教育は、セーフティーネットになっていないですから。むしろ、そういう名目で全体のレベルを低くしているだけだと思います。

司会:難しいですね。この未来の学校づくりにおいて、私立だけではない公教育というのも視野に入っていると思うのですが。そういうことについては、どう感じられますか?

夏野氏:段階があるので、義務教育と高校、大学教育というのを、まずは分けないといけない。義務教育に関してはある程度一律性というのが必要だと思いますが、高校や大学に関して言うと、例えば、16歳の段階で2年休んだ後に、高1になっても別に普通、という社会ができるといいと思っています。

特に大学に関して言うと、高校を出て1回働いてから大学に行っても特にハンデがない社会の方がいいと思っていて。まったく同じ年頃の人たちだけで集まる世界が教育の現場になっているというのが、まさに多様性と反している感じがしています。

アメリカが全ていいとは思いませんが、アメリカには「コミュニティカレッジ」というのがあって。そこはむしろ18~19歳の方が少ない。日本にもそういうのがあっていいし、ハーバードみたいにエリート主義の学校があってもいい。高校や大学に多様性があって学びたいときに学べるかどうかって、すごく大事なことだと思うので。限定された時期に教わっていないといけないという脅迫観念を止めていくことが、一つの道じゃないかと思います。

司会:ありがとうございます。おっしゃる通りです。学びたいときに、学年を決められずに、いろんな教科を学んでいける環境があるとすごくいいと思います。礒津さんは、この考え方はどう思われますか?

礒津氏:まさに「学びの多様性」ですね。教育の多様性をもっと高めていかなければいけない。エンジニアリングを学びたいと早いうちに気付いたなら、ずっとエンジニアリングに集中すればいい。ところが、日本の場合は悪平等というか、どんな子でも基本的には古文・漢文や歴史を勉強しなければいけない。もちろんそれらも面白いと思いますが、本当の意味での興味が生まれた時に学ばないと結局身につかないと思うんです。そして、その時期は人によって違いますから。私は学生時代歴史が苦手でしたが、大人になってから歴史を振り返ってみて、興味が持てるようになりました。ただ、学生の頃にはまったく興味が持てなかった。古文漢文とか、みんなが学生時代に一生懸命やる必要があるのかと。大学の入試が終わるとすぐ忘れてしまって、2度と社会で使わない。そういう科目を全員がしっかりやらなきゃいけない日本の教育の考え方は、ちょっとずれているのではないでしょうか。もっと選択の多様性、つまり生徒たちが自分の意志で学びたいことを選べる環境を作っていくべきだと考えています。

チャレンジできる環境にしていくためには、どんな環境、どんな人、どんな仕組みが必要か、最後にお1人ずつお伺いしていきたいのですが。
中島さん、何か思われることはありますか?

中島氏:どうやって変えるのか、難しいですよね。日本の教育って政治、官僚、地方自治体などが全部絡み合っているから、そこから直すのは果たして可能なのだろうか?それよりも、N高のやり方を僕は面白いと思います。N高って今、3万人ぐらいでしたっけ?

夏野氏:2万4,000人です。

中島氏:実はあれって、いくらでもスケールするモデルですよね。

夏野氏:できれば10万人くらいまでいきたいと思っています。

中島氏:それ、僕は面白いと思っていて。N高のフランチャイズみたいなものができるかもしれませんよね。教材の部分だけN高が提供して。

夏野氏:「N予備校」という形で、今すでにやっています。EXILEのEXPGというダンススクールの高卒資格は、N高で取れるようになっています。

中島氏:そんな感じで、実は文科省側からではなく外から変えるという方が、いいのかもしれないと思っています。

司会:ありがとうございます。夏野さんはどう思われますか?

夏野氏:日本の教育って、意外に変えられるということを、N高やN高以外でもいろんな学校が今やり始めています。特に高校に関して言うと、いろんな高校が今できていて、どんどん変わっているんです。日本は変わらないと思っているのは、実は親の世代だけ。うちの会社もそうですが、別に最初の就職がうまくいかなくても、その後、一生懸命頑張っていろんな経験積んで、中途で入社してくる人もたくさんいます。
実は、若い世代はあまり「日本は1回失敗したらダメ」なんて思っていないのかもしれないと感じていて。むしろ、そういうふうに最初から思い込んでしまっている我々に、問題があるのかもしれないと思いました。

司会:社会も若い人たちも変わっているのに、私たち親世代がなかなか自分の成功体験から抜け切れていないというのもあるのかなと、お話を聞きながら思いました。

夏野氏:特に僕たちは、最初親御さんが、「どうしてオンライン通信制の学校に行くんだ」と反対されるケースが多いので、それはよく思います。「むしろこっちの方が良くないですか?」とすごく思うのですが。古い価値観を持っている方もいらっしゃると思います。

司会:ありがとうございます。最後に礒津さん、お願いします。

礒津氏:やはり、多様性という考え方は本当に大切だと思っています。日本の場合、やはり民族的な多様性が、確保しづらいので、せめて学校の多様性は確保しなければいけないと思うんです。N高に行きたい人はN高を受験できるし、他の学校に行きたい人は他の学校を受験できる。それぞれの学校に多様な考え方があって、自分にベストフィットする学校を選べるという環境は、とても大事だと思っています。

親世代が変わらないといけないというのは、本当にその通りだと思います。私も小さい頃からプログラミングをしていて、30年くらい前は、「なんでそんなことやっているの」と、いつも大人に不思議がられていました。ところが、何年かするとそれが仕事になっていたりして、まさにその世界に生きていたりするわけです。同じように、今、子どもたちっていろんなメタバースのゲームをやっていて、それを見ると大人はすぐ怒りたくなってしまわけですが、じゃあ、20年後にどういう社会になっているかというと、けっこうバーチャル空間で完結する社会になっているのではないかと思っていて。まさにN高がやっているようなメタバース入学式などがスタンダードになっている可能性が十分にあるわけです。
ですから、未来の教育の議論をより深めていくためには、親がもっとフレキシブルになって、社会の変化を受け入れていくことが不可欠だと考えています。

司会:ありがとうございます。残念ながらお時間となってしまいました。本日は、私の関わる学校現場がどうしたら変わるのだろうという悩みも含め、いろいろご質問もさせて頂きましたが、たくさんのご意見を伺えてとても勉強になりました。参加者の皆さん、いかがだったでしょうか?個人的には今日のお話を、学校現場で少しでも生かしていければいいなと思いました。
中島さん、夏野さん、礒津さん、本日は貴重なお時間をありがとうございました。

一同:ありがとうございました。