中島聡×SONY社内イベント

はじめに

本記事はソニーの社内イベントに中島氏が参加したときの内容をもとに書き起こしです。

本編

ファシリテーター:ライトニングトークということで何回かやらせていただいていますが、今日は中島さんにきていただきました。この場を通じていろいろな人に出てきてもらい、質問したり顔見知りになったりして、交流を深めたいというのがもともとの発端です。発表することによって自分の仕事を振り返ることもできるので、話を伺うというのも一つなのですが、社内の交流のためにやっているということもありますので、ぜひいろいろ質問してください。興味のあることであれば、この場ではなくてもいいので、繋がっていただいて、自分の仕事をする時に、ああ、あのことがあったからなどと思い返せたらと思っています。

ファシリテーター:はい、では私の方から、すでにご存知の方もいらっしゃるとは思いますが、簡単に中島さんの自己紹介をさせていただきまして、それから講演の方に入っていきます。中島さんのことを知っていますという方は手をあげてください。

(ほとんど)

それでは何をきっかけで知られたかというのを聞いてみたいと思います。ひとつ目は中島さんのブログLife is beautifulで中島さんのことをお知りになった方。

中島さんは有料メールマガジンでかなりの読者数がいますが、メールマガジンを購読しているよという方は挙手をお願いします。

意外と少ないですね。

中島さんのベストセラーになった書籍を知っているよ、という方は手をあげてください。

こちらは半数以上いますね。ありがとうございます。

中島さんは、もともと高校時代からアスキーという会社でCANDYというCADソフトを作られていました。そのあと、早稲田大学を卒業し、当時世界一だったNTTの研究所に入所されましたが1年あまりで辞め、まだ無名だった日本のMicrosoftに移られました。その後、アメリカのMicrosoftへ異動し、チーフアーキテクトとしてWindows95 やInternet explorerの開発に携わりました。2000年に退社され、ベンチャーキャピタルを経て、UIEvolutionを設立、活動の幅を広げていきました。

それでは、中島さんお願いします。

中島:最近、ブログはサボっているのですが、嫁に「あなたは何をしているの?」といつも聞かれて、すごく説明しづらいのですけど・・会社には関わっていて、UIEvolutionが最近Xevoという社名に変わりました。そこの取締り役をやっていて、ほかはHoylulのCTOをやっています。そこは表向きにはちゃんとした仕事なのだけど、そっちでやっている仕事は実はそんなに多くはなくて、メルマガを書いたり、自分でやっているプロジェクトがいくつかあって、プログラムを書いたり、最近はシンギュラリティ・ソサエティという団体を立ち上げて色々やっています。幸い何年か前に、食うに困らない状況になったので、とにかくやりたいことをやるという生き方をしています。

ファシリテーター:いまお話の中にシンギュラリティ・ソサエティという名前が出されましたが、こちらは中島さんが設立した一般社団法人で、なぜ立ち上げたのかというところからお話を伺っていきたいと思います。

中島: 僕は昔から日本のソフトウェア業界に対して結構批判をしているのだけれど、日本のソフトウェア会社はゼネコンスタイルで作っていて、せっかく理系の大学を出たエンジニアが、仕様書だけを書いて、コーディングは下請けの人だったりっていうのが今の開発状況。それは僕としてはものすごく許せない状況で、ブログでも散々批判してきた。ブログにそれを書いたのは2007年くらいのことだけど、今でも全然変わっていない。そういう間違った作り方をどうやって直したらいいのかを発信だけしてきたけど、発信だけするではしょうがないし、変えてほしいし、変える人と繋がりたい。で、数年前まで、結構大きな会社の偉い人に対してコンサルティングみたいなことをしたんです。彼は(彼らは)「うん、うん」言ってはくれるのですけど、全然動かない。で、それはトップの人達がまずソフトウエアのことを分かっていないっていうのも一つだけど、会社組織になったときに、中間管理職の人たちは失敗したくない。若い人たちは割りと大人しいので、上司から言われてないことをあまりやったりしないわけですよ。上の人に聞くと「ウチの若いのは元気ない」って言って、若い人に聞くと「うちの会社は好きなことさせてくれなくて」って言って、皆でお見合い状態で何も起こらないって会社がすごく多くて。一番面白かったのが、「じゃあ、若い人元気付けて欲しい」っていうことで、30代前後くらいの人たちを60人くらい集めてセミナーを半年間やったのかな、月イチくらいの頻度で。色んな商品のアイディアを聞いたり出したりして、やった結果、結局そこから出たアイディアは一つも商品になりませんでした。社長からは褒められ、社長が僕が書いたメモを全社に配る、みたいなことは起こったのだけど、最終的に60人のうちのすごく優秀だった4人が辞めちゃいましたね。

(一同笑)

その時に思ったのだけど、それは会社にとっては成果じゃなかったかもしれないけど、その4人にとってはひょっとしたら成果だったのかなって。

(一同ま笑)

質問者: ちょっと不安になるエピソードですね。

中島: そうね、色んなデータとしてあるのかもしれないけど、でももうなんかそれで、トップの人に話するのは止めようと思って。20、30、40代のまだまだ若くて元気の良い逃げ切り状態に入っていない人に対してメッセージを発信していこうと思った。

別に辞めるだけが答えじゃない。会社を変える、会社の中を変える、会社の中で新しいプロジェクトを立ち上げる、会社の中で暴れる。そしてパソコンも使えないような重鎮たちを追い出していく。「経団連にパソコンが初めて入った」という記事、僕はアレを最初見たとき、なんだろう、虚構新聞かと思った。

(一同爆笑)

日付とかチェックしちゃった。ホントなんか驚いたよね。その人たちに話しかけても通じないので。通じる人達に、ココに来ている通じる人達に、「世界的にはこういう問題が起こってますよ」と。そしてそういうことには全く付いていけない、経団連の重鎮たちが、政治家が、実は日本で結構大事なところを握っていたりする。そういう日本に住んでいるんですよ。それは危機感を持っていかなければならない。その重鎮たちには任せてられないじゃないですか。「だから皆で解決しようよ」という話ですよ。だから、今日をきっかけには辞めないで欲しい。

(一同笑)

一言加えておくと、僕もベンチャー事業立ち上げたけど、すっごい大変だよ。とりあえずCEOになって一番の仕事が、お金集め。僕も最初ショックだった。プログラムが書けなくなっちゃったんだもん。だから、まずはこういうお金のある大きな会社で、まずは暴れてみてください。

日本には「出る杭を打つ」という風習があるので。

受験勉強中もあまりこう、「好きな勉強だけする」ということは許されず全科科目勉強するよう言われたりして抑えられて育ってきているから、なかなか当たりにくいと思うんだけど、「本当はこういう物作りたい」とか、そういうビジョンを持った人が新しいものを作る。この話を色んな人に色んな会社で話したんだけど、ものづくりとして絶対うまくいかないと思うのが、どの会社でもやっている企画部があって、そこに配属された人がマーケティングリサーチをして新商品の企画を立てる、というのが大会社にありがち。
僕はこれはうまくいくわけがないと思っている。だってその人たちは、たまたま企画部に配属されただけですよ。何か作りたいから行ったわけではないんですよ。何かを作りたいって思う人は、最初は新しいアイディアとか理解されないし反対されるかもしれないわけですよ。でも反対されても理解されてなくても、「いや、作る」って言うくらいの情熱を持った人が、そういう人は100人に1人、1000人に1人くらいしかいないんだから、まず大きな会社はそういう人達を見つけ出さなきゃいけない。その人たちに刺激を与えて、ある意味投資をして、「失敗しても良いから作らせる」っていうやり方が正しいわけで。企画部を作っても、そこに配属された人がビジョンを持っている可能性なんてほぼゼロなんだから。上手くいくわけないんですよ。だからそういう意味で言うと、本当の意味でボトムアップ、ボトムアップって言うとちょっとイメージが悪いんだけど「これやらしてくれないなら俺はソニー辞めるよ」くらいの熱い想いを持った人が、僕は新しいものを作れるって思っている。そういう想いを自分のなかにちょっとでもあるんだったら、そこは刺激して火をつけて欲しい。それをガーっと出すことが、今の時代こそ必要で。たぶんそういうのをバーッと出すと、嫌がる上司とかも必ずいると思うけど、僕は出すべきだと思う。いまそういうことをしない人ばっかりの会社は結局衰退していく一方だし、絶対衰退していく。それは保証する。そういうものを爆発させたとして、だからってその商品が成功する保証はないし、出世する保証もないのだけれど、でもそういうことやらない会社はどんどん衰退していく。それだけは決まっているから、やっぱりそれはこの業界にいる立場として、ソニーという良いブランドを持った、資源もお金もある会社で、リソースもある会社にいるんだから、それをやって欲しい。結局、熱いものを持った人が作っちゃったもん勝ちだと思っている。

僕もマイクロソフト入ったときに、どういう会社かはよく分かってなかったんですけど、とりあえずたまたま良い部署に配属されたら、僕は英語があまり喋れなかったので「役に立たないからお前プロトタイプを作れ」と言われ、作ったプロトタイプがWindows95のベースになったんですよ。その時になんか作ったもん勝ちだな、と思いました。

その作ったプロトタイプが全然まともに作ってなくて、Microsoftの中で唯一Small talkでプログラミングを書いた人間で、90年のデベロッパーカンファレンスで発表したのですけど、僕が一人で、6か月で、Smalltalkで作ったプロトタイプで本当にハリボテで、全く出せる状態のモノではない、スペックもない、プロトタイプそのものがスペックというモノを発表して、結局、それがWindows95として出るまで5年掛かっているんですよ。でも、そのおかげで何故か私はWindowsを作った男になれちゃった訳です。で、やっぱり動くものを見せる、プロトタイプでも良いから、ホントはなるべく実際に近いモノの方がいいけど、その・・・何ていうかな。別に会社を作るだけが起業家精神じゃないという意味で言うと起業家精神を持って欲しいと思うし、暴れて欲しいし、そういう人たちに刺激を与える役割を一番果たしやすい題材として戻ってきたけど、席がないけど・・・。ただね、ここに来て話に来ているのも目的の一つは果たしつつある。

ファリリエーター:ありがとうございます。私も中島さんのブログ。2007年か08年のですね、日本企業のソフトウェアの作り方の問題点というのを読んで「ウチの部署の事を書いているんじゃないか?」というくらいに痛感した思いがあって、今回シンギュラリティ・ソサエティーというのを中島さんが立ち上げるというのをメルマガで知って、私自身もソフトウェアエンジニアとして働きながらも、自分のスキルを何か世の中を良くする為に、どう生かしていけるのかと考えてたくて参加させて頂いて、それで声を掛けさせて頂いたのが今日の講演会となります。今日集まっている皆さんも中島さんの仰るように何かしら燃えるモノがあると思うので集まって頂いていると思います。

本日シンギュラリティ・ソサエティーを初めて知ったという方もいらっしゃると思いますので、先ほどのテーマを復習すると、「自動運転車と街」「自動化と社会保障」「監視社会とプライバシー」「貧富の差と民主主義」「仮想現実と少子高齢化」、あと「サスティナブルな発展」とかなり幅広いテーマを掲げられています。全部は一時間では収まらないと思いますので、その中で中島さんが一番力を入れているテーマがあれば、そちらについて伺っても宜しいでしょうか?

中島: 割と僕は何でもやりたいタイプなので、色々プロジェクトは進んでいますけど、一つ相変わらずプログラミングを書いているのは自動運転用のソフトウェアです。自動運転車技術そのものは結構ちゃんとした所、トヨタとデンソーが作っていたりGoogleが作っていたり、まぁUberが開発していたりということもあるので、そこを私一人で勝負してもしょうがないから、その上のレイヤーとして、色んな人が「私はココからココに行きたい、私はココからココに行きたいよ」という配車のアルゴリズムを作っています。配車っていうと「ルーティング」のアルゴリズムは必ず必要だし、それはひょっとすると、汎用的なモノを薄く幅広く広げるチャンスがあるんじゃないかなと思ったの。何で思ったかというと本業、、まぁ本業といっても肩書があるビジネスでトヨタと付き合っていると、やっぱりハードを作っている人たちはハードのことしか考えてなくて、全然サービスの事考えていないんですよ。
散々言ったのに全く通じなくて、「ウチは結局Uberに自動運車売ればいい」みたいな話になっちゃって、僕は「Uber買った方がいいですよ」って言ってるんですけど、全然通じなくて。そういう事を考えると「トヨタさんが自動運転機能を持った自動車を作りました」っていう時に、じゃあ、それをどうやって運営するか?当然だけどUberとかGoogleとかがそういったモノを作ってるんだろうけど、でも彼らが世界制覇をするっていう必要はないんですよ。ひょっとすると自動運転の車をいくつか持って走らせるというのは地方自治体とかがやった方が良いかなとか。例えば今、日本は少子高齢化で地方都市も減っている、人口が減ると交通網が成り立たなくなる。まずローカル線が止まり、バスの本数が減り、バス会社が赤字になり、しょうがないから市が引取るっていうことが起こっているんです。でも老人が運転すると危ないから免許書を返してくださいという事を始めているから、日本の交通インフラが破壊されて、爺ちゃん婆ちゃんは病院に行くのも苦労する状態が来るのは目に見えているんです。そこには明らかなニーズがある。そこにUberが来るとかGoogleが来るかって思えないです。そうすると過渡期として、バス会社じゃ成り立たない、そんなデカいバスは走らせる余裕はないけど、人間が運転するシャトルバスを何台か走らせような所に配車サービスを無料で、すごく安く提供しますよみたいなビジネス・・・ひょっとしたらドーピングとして成り立つかもしれないなって思いで、僕はBus2.0っていうサービスウェアをコツコツ作っている。まずは人間が運転する車でシャトルサービスの配車会社をやる。その中で将来的には自動運転になるみたいな事をやって。
まぁそんな形で幾つかテーマがあって、私が得意なソフトウェアのプロジェクトを立ち上げたりだとか、ホワイトペーパーを書くだとか、イベントを立ち上げるみたいな事をやる。そんな所を今頑張っているところ。

質問者:自動運転の本格的な普及というのはまだ先と仰っておりましたが、自動運転が普及するまでの間にどのようなステップを踏んで社会に広まっていくとお考えでしょうか?

中島: 専用道だったりゾーンを決めて、そこを自動運転車が走るということが成り立つと僕は考えていて、ローカル線が廃止になるとそこは土地が余っているはずで、流石に線路を道路に変えるという費用は掛かるけれども、そこをシャトルの自動運転の専用車線にして走らせれば、日本でも高速道路とか専用道路を走らせるというのは結構簡単で、ほぼ出来ている。ただ突然一般道を走って普通の人が運転している車だとか、自転車とか子供とか駐車している車がある所を走ろうとすると本当に大変で、技術的に難しいだけじゃなくて、社会的にも難しい訳ですよ。この前も対談の時に出てきたけど、万が一人が飛び出した時、轢いてしまった人の人生は終わるかもしれないけど、それだけなんですよ。自動運転車が轢くとやっぱり「自動運転車が悪い」だとか、「全車リコール」とか、その会社潰れるっていう状況に陥るので、人間と同じくらいの安全性で運転する自動運転車が一般道を走るのは社会的には無理だと思っていて、まぁ法律でいいっていうのはできると思うけどね。だって人間だってそうじゃないですが?何万キロって走っていれば必ず何処かで事故を起こす訳で、そうするとウマくいかない訳で、そういう意味にで言うと技術的に人間と同じくらいの安全性で運転できるっていう時期が、まぁ10年とかにしても、だから一般道を走れるとは思えない。じゃあ、まずはそういった車を人間とか自転車とか交わらない専用道を走らせる若しくはエリアを決めて、例えば、港区は一般車入れませんよと、歩道と車道はキレイに分かれてますよ、だから自動運転車ですよ。というのは可能なので、それは起こると思う。僕が危機感を抱いているのは、そういうゾーンを決めて法律系で強引なことができるのは中国なので、中国が一番最初にやるだろうなと思っていて、アメリカ・日本はものすごい危機感を持たなきゃいけないと感じていて、僕が政治家ならそういうことをもっと早く始めたいですよ。東京オリンピックもあるから、オリンピック期間中は神宮の周りは完全封鎖して自動運転車しか走れないようにすれば良いんですけど、何だかんだ間に合わない。もう一つやりたいことは、僕はナカジマノミクスと呼んでいるですけど、第二東名は2020年から自動運転車しか走れませんよということを政治家が与えたのなら、かなり変わったと思うんですけど、そういうこともしてくれていないし、まぁパソコンも使えない人にそういう事は思いつかないと思いますけど・・。でもそういう政治的な事でできる事もたくさんあるので、例えば2024年以降は第二東名は自動運転車”しか”走れないというのは物凄い刺激圧が掛かる。だから、そういうことはやって欲しいなと思う。まぁココに政治家はいないですけれども。

質問者:自動運転の車で一番近いと思われるテスラのモデルXをご愛用しているとのことですが、どういう点を気に入っているのでしょうか?

中島:僕もソフトウェアでこの業界にいるからガジェットばっか買っているんじゃないかと思われているんですけど、そうではなくて、何年に一回「あぁ、コレは持たなきゃな・・・」っていうモノが現れるんです。最初のiPhoneなんて「これは僕のためのデバイスだ」って手に入れて、ソフトウェア作ってみたいなことをしていて、それと同じようなモノをテスラに感じたんですよね。

中島: 僕の場合どちらかというと、左脳でロジカルに考えて、右脳で感情なんだけど、多分普段考えている時は、すごく左脳が考えているんだけど、
何かを買おうみたいな決断は右脳からストンとくる。だからあとから考えると左脳で説明をつける。

テスラは本当に右脳が、あっ、もう買うしかない!と思って買ったのだけど、後から考えてみるとすごく購入したときの感覚がiPhoneと似ていて、それまでのガラケーにも確かにブラウザは載っていたし、アプリもあったし、OSもあったのだけど、やっっぱり iPhone になった瞬間にパーソナルコンピューティングデバイスに変わった。それが、CPUクロック数で決まるのかと言われると難しいんだけど。やっぱり、ソフトウェアを作る立場からしても、本格的なソフトウェアのはしるCPUが載った携帯電話から通信機能のあるコンピューターに変わった。それが iPhone の凄い所で、それで左脳で後付けして説明すると、レクサスにしろプリウスにしろコンピューターも載ってるし・・・ソフトウェアもアプリもあるけれど、あくまで自動車にたまたまコンピューターが載っていただけで、テスラは走るコンピューター。そこは根本的に設計発想から違う。そこは物凄く惚れ込んだ。ソフトウェアアップデードが3週間おきにくる。iPhone よりも激しい勢いでやってくる。

僕が最初買った時は、ハードウェア2、新しいNVDIAで作られた自動車。
そもそもNVDIAのチップが12月のモデルから乗りましたと自動車会社が言うこと自体おかしい。NVIDIAのチップがあれば、自動運転できますよと言ってたのだけど最初に買った時は、自動運転機能がなかった。しばらくしたら、β版って言って最初は30マイルまでの自動運転ついてます。30マイルでは役に立たないといいながら遊んでいると、次に50マイルになりました、80マイルになりました、制限速度が取れました!みたいな感じで、アップデードが3週間おきにくる。で、そのうち今度は駐車場に自動で駐車する機能が付きました。それは本当に iPhoneの OS がアップデートされて、
どんどん機能が増えていくのと同じに、テスラも買ってから2年以上たつけど、どんどん進化している。テスラは、出た当時は電気自動車、リミットはあったけど自動運転機能付いているし、他の自動車会社より2年進んでいると言われていたけど、でも、買ってから2年間ずっと進歩しつづけている。
相変わらずテスラは他の会社より2年進んでいる。それは、ちょっとすごい危機的な状況だと思っている。他の自動車会社にとって、僕も大きな自動車会社と仕事していたから分かるけど、3週間に一度のソフトウェアのアップデードなんて絶対に無理。ソフトウェアの検証に6ヶ月とかかかる会社だし、かつ、6ヶ月かけて検証したソフトウェアを出す時、新しいソフトウェアをだすと必ずバグがあったりする可能性があるから、アップデードによるメリットと万が一それによってリコールが発生した時のデメリットを考えると結局だせなくなる。カルチャー的に無理。また可愛そうなのは、テスラはちょっとバグがあっても許されるけど、トヨタ車にバグがあったら許されないみたいな、お客さん側の態度もあるので、少し不利な部分もある。カーナビ連動自動運転とかやっとついて、そうは言っても、ハンドルを切ってくれるわけではなくて、行き先を指定して高速道路を運転していると、そろそろ車線を変えた方がいいよと教えてくれるくらい。多分、それをちょっとずつちょっとずつやっていって、そのうち、自動的に車線を変えてくれる。自動的に高速道路から降りてくれる・・・

質問者:普段、自動運転に近い車を愛用されていると、iPhoneのユーザーインターフェイスが革新されたように、なにか自動運転時代の新しいインターフェイスのディバイスとかもあり得るのではないかと想像はするのですけども、何かもしそういう、自動運転時代の新しいインターフェースとうのはこういう事だよねみたいな、物で具体的に想像しているものがあれば、ひとつ2つ教えて頂きたい。

中島:どこまで完全に自動運転になるかだけど、わりと本当に一般道を完全に自動運転で走るのはまだまだ難しいけど、高速道路はいけますよね。僕も交通違反だと知りながら、ネットフィリックスを見ながら運転したこともある。だけど、そのへんのユーザーインターフェース的にはそんなに面白くない。多分近いうちに出るのが駐車場に行ってスマホで自分の所に呼び出せるくらいのあれは近いうちにくる。それはユーザーインターフェイスにしてみれば画期的、特にぼくなんかどこに停めたか忘れちゃうタイプなので、ピッピッと押すと、スーと迎えに来てくれたら、これはすばらしい。自動運転になるのは自分の乗っている時だけの話ではないので、将来的には、例えば今日は泊まることにしたから家に帰ってと言ったら帰ってる。そして迎えに来てくれる。あと、イーロン・マスクがやると言っていて、本当にやるかわからないけど、ウーバーみたいにテスラを登録しておくと、自分が使っていない間にロボットタクシーとして働いてくれる。その辺になってくると、ユーザーインターフェイスとして次元の違う話になる。

質問者:自動運転社会を想定したときに、エンジニアとして今から考えておくべき、磨いておくべきスキル、考え方そういったものをお伺い出来たらと思います。

中島:そうですね、「自動運転が実現するとどんな社会がくるか」っていう事を自分なりに考えておくことはすごく良いと思います。やっぱり、世の中が変わった時ってビジネスチャンスが生まれるじゃないですか。自動運転社会になった時に必ず今までに無かった様な新しいビジネスが生まれる訳ですよ。それは、きてから考えるのではなくて今から「きたらどうなるかな」っていうのを考えておく事が大切で、すごくそれは良い頭の体操になると思う。例えば自動運転になると、まあ理想的な事を言うと、自動運転車同士がお互いにぶつかるのを避ける事が出来る訳だから、信号が要らないかなと。
信号が要らない状況っていうのは気持ち悪いかもしれないけれど、本当にみんなが完璧な自動運転車だったら、お互いに避ければ良い訳で、要は渋谷のスクランブル交差点の様な状況で自動車が走り回っていても何の問題もないので、まず渋滞が無くなります。

それから、自動運転で必要な時に迎えに来てくれて送り届けてくれるんだったら、余り自分の車を持っている必要が無いので、基本的にシェアリングエコノミーになるだろうと。シェアリングエコノミーになるって事は、要はどこかに着いた時にその車を止めておく必要が無い訳で、連れてってもらったらじゃあねって、車はどっか行って他の人を迎えに行けばいい訳だから、
駐車場が要らない。そうすると街から駐車場が無くなる訳じゃないですか。

そうするとその、「駐車場が無い街」っていうのが何を意味するのかっていうと、例えば今ある駐車場のスペースが余る。そのスペースを有効活用できるかもしれない。車と人の関わり方が変わるかもしれないです。ひょっとすると自動運転車になるとバスより安くなるかもしれない訳ですよね。タクシーが高い理由っていうのは、運転手と乗客の比率が違うからであり、バスより安くなったらどうなるのか、地下鉄より安くなったらどうなるのか、
じゃ、今まで乗ってた地下鉄はどうなるのか。色々大きな変化が訪れるので、そこに問題も生じるし、ビジネスも生まれる。自動運転車だったら自動運転車中で仕事ができるし、映画も見れるし。自動運転車の中でスクリーンがひょっとしたらすごいエンターテイメントになるのかな、みたいな事を思うから、その辺は今から物を作ってもしょうがないかもしれないけど、考えておくのはすごい大事かなと思います。

質問者:ありがとうございます。質問の方向性を少し変えまして中島さんの成功例ばかりを聞いてしまうと、すごい耳が痛いなと思ってしまう方もいるかもしれないので、とっておきの失敗例をお聞かせいただければと思います。

中島:とっておきのがあって、普通の人が無い位の失敗があります。iPhoneが出た時にものすごい気に入って買ったっていう話をしたじゃないですか。
iPhone の SDK が出た時、2008年の01月位だったかな、自分もアプリを作ろう!と。実はその頃、iPhoneアプリの開発は余り注目されていなくて、話題にはなっていたけど開発者が飛びつく様な感じではなくて。ここで初速で、すげーアプリを作ったら絶対成功できるな!という確信があったんですよね。その時、僕はたまたま仕事でよく日本に来ていて、日本のモバイル業界の事を知っていたんですよ。それで、ソフトバンクの前のジェイフォンという会社で、サービスをやってた人と親しくなって、その人と話していたら、その時「ジェイフォンは色々なサービスを出していたけど、一つだけ一度入ったら辞められないサービスがあるんだよ、なんでしょう」という事を言ってくれて。何?って聞いたら、「写真なんだよ」と。その時、これはもう写真を取りにいかにゃって事で、PhotoShareっていう、要は写真共有アプリを作ったんですよ。結構丁寧に作って、エンジニアは一人日本から呼んで、ちゃんとデザイナー雇って。誰でも投稿出来て、「いいね」みたいなのが出来たりコメントが付けられるようにしたサービスを iPhone向けに出しました。
iPhone の AppStore がオープンした時は、アプリが200しかなくて、その内の一つ。当然の様にものすごい数がダウンロードされて、1年以内に100万ダウンロードされて、ソーシャルネットワーク部門では2年間トップでした。
写真共有だけど、当然だけどそういう事が好きなのは若い子で、16から22、3位の女の子が投稿すると、男がババババっとコメントを激しく付けると。
一時社会現象になってたんですよ。新聞には載らなかったけどどこかの小学校で使用禁止になりましたからね。厳密には測れないけど、コメント入れたりなんだりっていう1日のアクセスしてる時間が4時間って人もいるんですよ。何が起こってるんだろうという感じのアクセスで。その中で結婚した人も4組位知ってますし、すごい事が起こったんですよ。それをビジネスモデルコンテストがワシントンでやってたので、それに出したら優勝したんですよ。ベンチャーキャピタルの人が来て「面白いから投資するよ」って言われたけど、僕、なんと断ったんですよ。これが失敗なんだけど。

質問者:途中まで全然失敗談に聞こえない。

中島: もう一つの失敗談。Microsoft時代、僕の上司に、これをやると面白いことができる、誰でもサーバーを立ち上げることができるって言ったら、その人はすごく気に入ってくれて、じゃあ次の Windows に入れようということで、Windows 97 に入れることが決まった。で、ここで僕の失敗が起こったのだけれど、僕は Windows のユーザーインターフェースのチームで、
サーバーをやるチームに僕がリーダーとして行けばよかったのに、行かなかった。そういうことが得意そうな奴をみつけてに、お前やれって、で、そいつに押し付けて、僕が作ったプロトタイプの商品化を担当をさせた。それが失敗だった。で、Windows97の開発がスタートし、ベータ版を社内で配り、みたいなことをやったときに、突然、大きなサーバーをやっているチームから、けしからん、何をやっているんだ、うちのサーバーがやっているのがMicrosoftのサーバーだと。なんで対抗するようなものを作るんだ、と。で、僕が担当しているならよかったんだけれど、僕が引っ張ってきた奴が、とても政治力が弱い。押し切られてしまった。で、なぜかでかいサーバーが使っているチームのソースコードベースで行くって決まってしまった。そしたら、突然、僕が作った12KBのコードはなくなり、そいつらが持ってきたのが何十MBのコードで、そのころは、何十MBっていうのは重くて、それを入れて、β版を配り始めたら、Officeのチームからクレームが来て、Office Application のパフォーマンスが30%落ちた。で、それを調べたら、そのサーバーが原因だとわかり、で、結局、そのサーバーはオプションにするという決定が下り、実は、Personal Edition の IIS のサーバーは Windows98 のオプションとして付いています。で、結局、あまりにも重いから、誰も使わず、Peer to Peer でHTTPサーバーが動くっていう時代は起こせませんでした、という失敗です。なんで、Node が出た時はすごく悔しかったです。

質問者:ありがとうございました。今日は、年代が幅広いエンジニアが集まってきていますが、29代、30代、いわゆる若手っていうエンジニアに対して、35オーバーへのエンジニアに対して、エンジニアとして中島さんの今までの生き方から、これぐらいの年代の時にこういうことをやっていた方がいいよアドバイスを頂ければと。

中島:いいアドバイスかわからないけど、日本の会社って特に大きい会社では専門職にならずにゼネラリストになること、管理職になることを期待される訳じゃないですか。僕はエンジニアである限り、その風習には疑問を持った方がいい、と。そもそも人には得意不得意があって、僕もCEOとかやっていたけど、あんまり得意じゃないんですよ。僕は少なくとも物を作って、プログラミングをしていた方がいい、絶対光るのね。適材適所っていうことを考えると、管理職をやりたい人はいいんだけど自分がどこで勝負したいのか、みたいなことは割と意識した方が良くて、それと会社が要求するものがミスマッチを起こした時には辞める前に、まずは暴れてみるのがいいんじゃないかと思います。そろそろ日本の経営者達も気がついているはずなんですけど、エンジニアだったらエンジニアとして伸ばした方がいい、もしくは、そのマネージャよりエンジニアの方に高く給料を払わなくちゃいけないんじゃないかと気が付いている会社はいっぱいある。気が付いている人もぼちぼち出始めているので、あまり早めに諦めて、この会社にいる限りもう僕はエンジニアやめてマネージャになるしか出世の道はないなんて思う必要はないと思います。20年前はそうだったんだけれども、そんなことを言っている会社はダメになるので。多分、暴れて大丈夫だと思います。

質問者:ありがとうございます。少し日本の企業の、今後の問題というのもあったと思うでのすけれど、弊社のようなハードウェアとソフトウェアを両方やっている会社で、暴れるために、我々はどういうところから始めれば良いのか、少し具体例を交えて、どういう暴れ方があるか、教えて頂ければと思います。

中島:ハードを作れる人がいるというのは僕は羨ましいと思いますよ。ソフトウェアだけでできることというのは限られている訳で。iPhoneの上のアプリを作るということしかできない訳じゃないですか。でも、ハードウェアのエンジニアと組むともっと面白いこともできるかもしれないので、まずソフトウェアだけができるエンジニアだけやハードウェアだけができるエンジニアだけで集まるのではなくて、ソフトウェアができる人とハードウェアができる人が集まった方が面白いものができるよ、というのをすごく意識した方がいいと思う。あとやっぱりなんだかんだ言って難しいんですよ。ハードウェア、エンベデッドソフトウェア、クラウドを全部組み合わせないといいものができないんですけれど、なかなか揃わないんですよ。ベンチャー企業にしろ、大きな企業にしろ。それが揃うとすごい力が出るのかなと。なかなかわかってもらえなくて、別々に作っちゃったりするんだけど、やっぱり一つのところでハードウェアとソフトウェア、エンベデッドをドーンと。それは2人なのか3人なのかわからないけれど組んで作ったらすごい面白いものができる。

中島: 組んで作ったらすごい面白いものができる。ただそれは、ソフトウェアエンジニアとハードウェアエンジニアが両方いる会社の方にぜひともやってほしい。クラウドだからえらい、とかエッジ側だからえらい、とかいう話ではない。エッジコンピューティングという言葉が出てきているが、ものによってはエッジ側をやったほうがいいこともある。そのへんの設計をちゃんと一気通貫していなければならない。AIの画像処理のこの部分はデバイスでやってしまおう、と決められる立場にある人が強い。自分はサーバ―側でやるしかない、という発想のもとにやると、なかなかデバイスでやったほうがいい、と思えない。しかし、両方そろっていると柔軟性がでてくる。それはすごいメリットだと思う。エッジコンピューティングの話はこれからぼちぼち出てくる。自動車はいい例で、最近の自動車はカメラがいくつもあって、データをバーと取りこむ。それを映像を全部サーバーになげるとものすごくしんどい。結局はローカルでやらなければならない。全部ローカルでやればいいかというと、それはもったいない。クラウドでそれぞれの自動車がネットワークにつながっているからこそ、3台前を走っている車が、子供が飛び出してきたのをみた、と後ろの車に教えることができる。それはつながってないとできない。そうすると、画像認識のリアルタイムでブレーキを踏むなどのことはローカルでやるが、そういう情報を共有するのはクラウドでやる。3Dマップをつくるマップのフレームの分解まではデバイスでやるが、それをマージするのはクラウドでやる。このへんのバランスの設計が難しい。意外とそれをちゃんと両方見ながらできる人がいない。そこはエンジニアとしての自分の価値をたかめるという話でいうと、クラウドもできてエッジもできてディープラーニングも使いこなせる人は冗談ぬきですごい。

質問者:中島さんがソニーのハードウェアとソフトウェアのリソースを好きに使っていいという条件があったら、どのらいの期間でどんなサービスをつくりたいですか?

中島:そういうことはすごく考えるのですが、このハードウェアがあったらいいという、そういうのを積み重ねるのも大事だと思うけど、ソニーくらいの会社だったら、一気通貫した中で、こういうニーズがあるけどそれにか答えられるか、というニーズから始まりそこにデバイスやサービスを作るという逆の発想をしたほうがいい、と僕は思う。少子高齢化で移動手段が無くなった老人に、どうやって移動方法を提供するか、という課題に対する答えが
自動運転であったりする。ニーズから登ってきたモノづくりでそこに必要なハードとかソフトを作る、というのをやりたい。例えば、高齢化が進んでいる中で、老人たちが孤独だったりとかいう問題を解決する。老人問題を解決しようと決め、そこにどういうデバイスがあれば老人を助けられるか、結果デバイスとして、AIBOを老人介護に応用する。それはたまたまハードがあるだけで目的はAIBOを作ることではなく、ハードで儲けることでもなく
老人問題を解決すること、というアプローチでモノづくりを自分はやっているのだとおもう。今までのハードウェア志向の会社からモノからコトへ、というように発想としてAIBO売るけど、AIBOでどうやったら月々千円儲けれるかという発想ではなく一人で困っている老人には癒しが必要でいざとなったら誰かが助けなければいけないそれを助けるためには、答えはAIBOじゃないかもしれない。その人を助けるモノづくりをしたい。そのときにハードウェアとソフトウェアのエンジニアリソースが潤沢にあれば、制約なしにつくれる。

最後までお読みいただきありがとうございました。


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